【ことわざ】
亡羊の嘆
【読み方】
ぼうようのたん
【意味】
学問の道が細分化しすぎてしまうことによって、真理を見失ってしまうことを嘆いたこと。
また、方針や方法がいろいろあって、その選択に迷ってしまうこと。
「亡羊」は、羊を見失うこと。「多岐亡羊」ともいう。
【語源・由来】
中国の戦国時代の思想家・楊朱(ようしゅ)の隣の家から羊が1匹逃げ出してしまった。
家の者を引き連れて、大勢で追いかけたけれど、道がいくつにも分かれていて見失ってしまった。
それを聞いた楊朱は何日も不機嫌になってしまった。
心都子という人が、その理由を悟って「学問の方法もさまざまに分かれているので、学者は真の生き方がわからなくなってしまうのだ」と説明したという故事に基づいている。
【類義語】
・多岐亡羊(たきぼうよう)
【英語訳】
In too much dispute truth is lost.
Waver in a method and it is lost in thought.
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「亡羊の嘆」の使い方
ぼくはこれからどうしたらいいんだろう。
なにを悩んでいるの?
学者の道を目指そうと思っているんだけど、まずは本を読むべきか、それとも塾へ通ってみるか、尊敬できる先生を探そうか、いろいろな方法があるものだから。
亡羊の嘆となっているのね。まずは自分が本当になにをしたいのか、きちんと考えたほうがいいと思うわ。
「亡羊の嘆」の例文
- 学問の道とはまさに亡羊の嘆だと、先生が話していた。
- これからの経営のためには、どの方針が適しているのか、亡羊の嘆となってしまった。
「望洋の嘆」は、偉大な人物や、深遠な思想や学問に対して自分の力のなさを嘆くことなので、間違えないように注意が必要。
まとめ
どんなときでも、最良の方法を選びたいと思うものではないでしょうか。
しかし、亡羊の嘆となることもありますね。
どの方法を選んだとしても、選んだ後には自分を信じて進むしかないのかもしれませんね。