「髀肉の嘆」の意味(出典・故事)
【ことわざ】
髀肉の嘆
【読み方】
ひにくのたん
【意味】
功名を立てたり実力を発揮したりする機会のないことを嘆くこと。「髀肉」は股の肉。
そうか、それはなんかせつないなあ。才能があるのに、それを生かせる場所がないっていうのは、もったいないし悲しいことやな。みんなが持ってる才能や能力をしっかりと生かせるように、社会や周りが支援することも大切やってことやな。
才能を持ってる人がその力を発揮できるような環境を作っていくことが、みんなのためにもなるんやね。
【出典】
「三国志」蜀志
【故事】
蜀の劉備が志を得ず、寄寓の生活を送っていたころ、長く戦場に出ないため、股に肉が付きすぎ、功名も立てずに時間ばかりが過ぎていくのを嘆いたという故事から。
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「髀肉の嘆」の解説
カンタン!解説
「髀肉の嘆」という言葉は、中国三国時代に起きた有名な逸話から来ているんだ。劉備が、戦場に出る機会がなくなり、久しく馬に乗ることもないために太ももの肉が肥えたことを嘆く話から来ているよ。この話は、自分の能力や才能を活かす場がなく、ただ時間を無駄に過ごしていることを悲しむ心情を象徴しているんだ。
この故事は、特に何かを成し遂げたいと願う人たちにとって、大きな意味を持っているよ。自分の能力を発揮する場がなく、才能が無駄になっていると感じる時に使われる言葉だね。
「髀肉の嘆」は、「才能があるにも関わらず、それを生かす機会がなく、その結果として能力が衰えていくこと」を嘆く状況を表しているんだ。だから、この言葉は、自分の能力を最大限に活かし、時を無駄に過ごさないように、積極的にチャンスを探し、挑戦し続けることの重要性を思い出させてくれる言葉なんだよ。
「髀肉の嘆」の使い方
去年の運動会が雨で中止になって、今年も雨で中止になったら髀肉の嘆を洩すことになるよ。
そうね。健太くんが学校で活躍できる唯一の日だものね。
今年は、台風が来ても体育館で開催してくれないかなあ。
それはないわね。その時は、勉強で活躍すればいいじゃないの。
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「髀肉の嘆」の例文
- 髀肉の嘆をかこっていた彼にとっては、自分の実力を示し、自分の理想を実現すべき絶好の機会到来となりました。
- 彼は音楽大学で培った専門知識を全く生かせない部署に異動を命じられ、髀肉の嘆をかこっている。
- 同期が本社で活躍しているときに、自分は片田舎で大きな仕事にたずさわることができないなんてと髀肉の嘆を洩した。
- フリーになってからなかなか仕事に恵まれず髀肉の嘆をかこっています。
- まだまだ若い者には負けない仕事をするつもりでいるが、定年退職して髀肉の嘆をかこっている。
この言葉は、有能な人がその才能を発揮できる場が与えられずに、日々を無駄に過ごしてしまうことの哀れみや悲しみを表しているんだよ。