「文はやりたし書く手は持たぬ」の意味(語源由来・英語訳)
【ことわざ】
文はやりたし書く手は持たぬ
【読み方】
ふみはやりたしかくてはもたぬ
【意味】
恋文を書きたいが文字を書くことができず、人にたのむわけにもいかない。気をもむ意。無筆な女が嘆く言葉。


人に頼むのも恥ずかしいし、そういうときにどうしようもなくなる気持ちをよう表してるわ。
【語源・由来】
遊里の無筆な女が嘆くさまから。
【英語訳】
・Wanting to write, but has no hand
『江戸いろはかるた』の「ふ」の札に描かれています。
「文はやりたし書く手は持たぬ」の解説
「文はやりたし書く手は持たぬ」という表現は、手紙を書きたいけれども読み書きができないためにそれが不可能であるという状況を嘆く言葉だよ。このことわざは、特に恋文を書きたいが、文字が書けないために自分の気持ちを伝える手段が限られてしまうという悲しみやもどかしさを表現しているんだ。
この表現は、情報や技術の不足が個人の願望を阻害することを示しており、教育の重要性やコミュニケーションの手段としての文書の価値を強調しているよ。読み書きができないという障害が、自分の感情や思いを直接的に伝える機会を奪ってしまうことの例として挙げられることが多いね。
「文はやりたし書く手は持たぬ」の使い方




「文はやりたし書く手は持たぬ」の例文
- 文はやりたし書く手は持たぬのように、恋をしている時の些細な障害はいじらしいものである。
- 文はやりたし書く手は持たぬとは正反対で、彼女はとても積極的で欲深くすぐにでも自分のもの死したタイプである。
- 江戸の遊女が文はやりたし書く手は持たぬと気を揉んでいた事を考えると、現代は携帯電話などで簡単に連絡が取れる良い時代になったものだ。
- 彼女は文はやりたし書く手は持たぬといわんばかりの照れ屋なので、憧れの彼と同席する事すら憚られると今日は欠席しているよ。
- 文はやりたし書く手は持たぬというような、恥じらう女性の姿に男は心惹かれるものだ。

























特に、個人的な内容や恋文など、他人に頼みにくいことを書きたいときに感じる無力感を象徴しているんだね。