「慶者堂に在り弔者閭に在り」の意味(語源由来・出典・類義語)
【ことわざ】
慶者堂に在り弔者閭に在り
【読み方】
けいしゃどうにありちょうしゃりょにあり
【意味】
良いことと悪いことが隣り合わせで来るということ。
「慶者堂に在り弔者閭に在り」という言葉は、喜ばしい出来事と悲しい出来事が、ほんの少しの間に連続して訪れることを意味しているんだ。
ああ、それって、嬉しいことと悲しいことが同時にやってくるってことやな。
一つの出来事が終わらへんうちに、次の出来事がもうドアの前で待ってるみたいな。人生は予想以上に波乱万丈やな。喜びと悲しみが、ほんまに隣り合わせやね。
【語源・由来】
祝い客が家の中にいるうちに、弔問客が村の入り口まで来る意から。
【出典】
「荀子」
【類義語】
・弔者門に在り、賀者閭に在り
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「慶者堂に在り弔者閭に在り」の解説
カンタン!解説
「慶者堂に在り弔者閭に在り」という言葉は、喜びのことやめでたいことと、悲しいことや不幸なことは、とても近くに存在しているという意味だよ。
「慶者」とはめでたいことや喜びのこと。「堂」は大きな家や場所。「弔者」とは悲しみや不幸なこと。「閭」は小さな道や細い通路という意味だけど、ここでは「近く」という意味合いで使われているんだ。
つまり、このことわざは、人生の中で良いことや悪いことが隣り合わせにやってくることを教えているんだ。今は楽しいことがあっても、そのすぐ後に悲しいことが待っているかもしれないし、逆に大変なことがあっても、その後に幸せなことが待っているかもしれないってこと。人生は予測できないものだから、いつも心の準備をしておくことが大切だよね。
「慶者堂に在り弔者閭に在り」の使い方
いやーめでたいね。
慶者堂に在り弔者閭に在りというから、この後が怖いわね。
その時が来たらその時嘆けばいいよ。いまはめでたいことを祝おうじゃないか。
そうね。慶者堂に在り弔者閭に在りで、悪いことの後にはまた良いことがあるしね。
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「慶者堂に在り弔者閭に在り」の例文
- 禍福は糾える縄の如しともいうが、慶者堂に在り弔者閭に在りだ。悪いことがずっと続くわけではない。
- 慶者堂に在り弔者閭に在りというから、良い時も悪い時もいちいち一喜一憂しない。
- 出産と葬儀が続いたが、慶者堂に在り弔者閭に在りで人生そういうものだ。
- 慶者堂に在り弔者閭に在りなので浮かれてばかりいられない。
- 人生は常に一定ではなく慶者堂に在り弔者閭に在りだから、思いっきり嘆き思いっきり喜び、そして引きずらない。