【ことわざ】
二度あることは三度ある
【読み方】
にどあることはさんどある
【意味】
二度も同じようなことがあると、さらにもう一度続いておこる可能性が高くなる。物事は繰り返されることが多いので油断してはならないという意味。悪いことに使う。
【類義語】
・朝あることは晩にある
・一災起これば二災起こる
・歴史は繰り返す
【対義語】
・三度目の正直
・いつも柳の下に泥鰌は居らぬ
・柳の下にいつも泥鰌はいない
「二度あることは三度ある」の使い方
「二度あることは三度ある」の例文
- このような状況になったのは、二度あることは三度あるものだという認識が不足していたからです。
- ぼくは、また学校に遅刻してしまった。「二度あることは三度ある、というから、こんどは気をつけて。」と先生に注意された。
- 二度あることは三度あるということから、この件の関係者以外は気を取られることなく自分の仕事をしっかりと継続してください。
- この対策の問題点は二度あることは三度あるという視点に欠けていることです。
- 二度あることは三度あるというように、物事は、繰り返し起きることが多いから注意したほうがいい。
- 再び点検漏れがありました。大きな事故にはなりませんでしたが、二度あることは三度あるといいますので、重大な事故にならないよう特に注意して下さい。
【注意!】間違った例文
❌「今日は、掃除を頑張って先生にほめられ、テストで満点をとってお父さんに褒められた。二度あることは三度あるというので、もう一回褒められるはずだ。」
「二度あることは三度ある」を英語で言うと?
「二度あることは三度ある」の英語表現をご紹介します。
※英語の声:音読さん
Things come in threes.
- 直訳:物事は3回の中でやって来る。
- 意味:物事は3回繰り返される。
What happens twice will happen three times.
- 意味:2回起こることは3回起こる。
It never rains but it pours.
- 直訳:土砂降り以外の雨は決して降らない。
- 意味:雨が降るとなると、土砂降りになる。
History repeats itself.
- 直訳:歴史は繰り返す。
- 意味:同じことが何度も起きる。
One loss brings another.
- 意味:一つの損失は別の損失をもたらす。
Never twice without three times.
- 意味:二度あることは三度ある。
コラム:「二度あることは三度ある」と庶民の生活感覚
ことわざでは「二度あることは三度ある」といいますが、本当でしょうか。
文字どおりには、(同じようなことが)二度あったら三度あるということですが、実際には、そうならないこともあるのは皆さんもご存じでしょう。
それなのに、なぜ、昔から「二度あることは三度ある」といい、いまも多くの人がこのことわざを口にしたり思い浮かべたりするのでしょうか。
その原因の一つは、ことわざの好む表現法(レトリック)です。
ことわざは、基本的に断定形で終わります。
「二度あることは三度ある」と言いきって、印象を強めているのです。
実際は三度はない場合があっても、「二度あることは三度あることもあるし、ないこともある」とか、「二度あることは三度あるかもしれない」といったのでは、ことわざらしく感じられませんね。
もう一つ、ことわざが簡潔な表現で、くわしい説明をしないことも挙げてよいでしょう。
ことわざは、使われる場面や状況と密接に結びついているのですが、どんなケースに使われるのか、ことわざ自体は何も語らないことが多いのです。
このことわざの場合、用例をみると、おおむね好ましくないことや不吉なことが二度つづいて、三度目が起こる予兆(きざし)として警戒する場合が多いといえるでしょう。(勝負事などで、二つ勝って次もまた勝てる〔勝った〕というときにも使えますが、ことわざの用法としてはかなり軽く、副次的なものです。)
谷崎潤一郎の名作『細雪』には、次のような用例がありました。
大阪船場の蒔岡家の次女幸子の回想で、妹(三女)雪子の見合いのために妹たちと上京した折に、過去に東京に来るとなぜか心配事が生じたことが二度あったのを思い出し、縁談の行く末に一抹の不安をいだいたことを述べています。
この予感ははからずも的中し、雪子の縁談は破談になります。
「東京」と「ロクでもないこと」を結びつけるのは論理的でなく、直感によるものです。
しかし、嫌なことが二度続いたときに、その二つに共通する背景として「東京」に思いあたり、妹の将来を案じるのは姉として当然の心理でしょう。
一般に、二度あったから三度目がかならず起こるわけではないにしても、重大な結果になりかねない場合は、三度目がありうると思って身構えるのは人としてごく自然な反応です。
「三度ある」というのは、三度あると思って恐れ、そのリスクに備える必要を強調したものと受け取ってよいと思います。
ところで、現代では「二度あることは(かならず)三度ある」と信じるのは、俗信あるいは迷信ということになりますが、笑ってすまされない場合もあります。
たとえば、同じ年に同じ家で二人が亡くなったようなケースです。
少し重い話になりましたが、そんなとき昔の人は、ことわざを引いて三度目の災厄を避けるために、二人目の死者を葬るときににその隣に藁人形や木槌などを三人目の死者の代わりに埋葬しました。
二人の故人をとむらい、これ以上の禍を避けるために区切りをつけ、精神的なバランスを取り戻すことにつながっていたものでしょう。
この風習は多くの地方で確認されていて、一部では近代までのこっていました。
他方で、醤油などを二度こぼしたときに、三度目の大きな被害をまぬがれるために、わざともう一度ほんの少しこぼすようなことも行われていました。
今日では理解しがたい、ちょっとユーモラスな光景ですが、ことわざが庶民の日常生活にそれだけしっかり根づいていたことがうかがわれます。
このことわざは、文献の上では18世紀後期が初出とされていますが、こうした習俗を視野に入れると、さらに数世代前、あるいはもっと古い時代から庶民の間で使われていたと推定され、かつては庶民の生活感覚の一端を占めていたといっても過言ではない、と私は考えています。(2025/2/5)
©2025 Yoshikatsu KITAMURA