「親の脛をかじる」の意味
【ことわざ】
親の脛をかじる
【読み方】
おやのすねをかじる
【意味】
子供が経済的に自立することができず、親に養ってもらっていること。
そうなんや!つまり、大人になっても「親のお世話になってばっかりで、自分で生きていけへん」ってことなんやな。
親の足元でずっとぐずぐずしてるみたいな感じやろ。これは、自分でちゃんと立ち上がって生きる大切さを教えてくれる言葉なんやな。親に頼らず、自分でがんばらなあかんってことや!
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「親の脛をかじる」の解説
カンタン!解説
「親の脛をかじる」っていうことわざはね、大きくなったのにまだ自分で生活できなくて、お父さんやお母さんのおかげで生活している子どものことを言うんだよ。
例えば、大人になったけど、まだお小遣いを親からもらってる、または、親の家に住んでるような状況を指すよ。ちょっと、親に頼りすぎてる子どものことを言っているんだね。
「脛」ってのはね、人の足の部分だよ。だから、文字通り親の足をかじっているように、親に頼って生活している子どものことをこのことわざで表現しているんだよ。
「親の脛をかじる」の使い方
健太くんはいつまで親の脛をかじるのかな。
かじれる限界まで。
財産を食いつぶすつもり?
生きているうちに使わなくていつ使うの?今でしょ。
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「親の脛をかじる」の例文
- 健太くんは就職せずに親の脛をかじる日々だ。
- 子供たちは困ったら親の脛をかじればいいいと思っているようなので、彼らのために突き放す。
- 立っている者は親でも使えというし、親の脛をかじるのは悪いことではない。
- 日本では、親の脛をかじる子供部屋おじさんが増加中だという。
- 夢をかなえるために親の脛をかじり、足りなければじじばばの脛もかじる。
❌「小学生のぼくは、親の脛をかじっている。」
この使い方は間違い。子どもは親にやしなってもらうのが当たり前だから、使わない。
「親の脛をかじる」の文学作品などの用例
先祖は音に聞く鳥居強右衛門であるが、しかし、名詮自称、彼は親の脛を囓り放題かじってついに遺産をつかいはたし、その腹癒せでもあるまいが、今は町の歯医者となって片っぱしから患者の歯を抜いてくらしているのである。(尾崎士郎の人生劇場より)
自分で生計を立てることができず、親の援助を受け続けることを指している言葉だ。