「脛者の苦笑い」の意味(語源由来)
【ことわざ】
脛者の苦笑い
【読み方】
すねもののにがわらい
【意味】
変わり者にも上がいるということ。
「脛者の苦笑い」という言葉は、「変わり者」でも他にもっと変わった人がいることに気づいて苦笑いするという意味のたとえだよ。
へぇ、そういうことか。変わり者でも、もっと変わった人がいるってことに気づいて、苦笑いする状況を言うんやな。自分が特別だと思っても、もっと特別な人がいるってことやね。
これは、どんなに変わってると思っても、それを超える人がいることを示す言葉やわ。
【語源・由来】
ひねくれ者と自覚している者が、さらに上手がいることを知って苦笑いすることから。
【スポンサーリンク】
「脛者の苦笑い」の解説
カンタン!解説
「脛者の苦笑い」というのはね、「拗者」と呼ばれる、ちょっと変わった態度や考え方を持つ人が、自分よりもさらに変わった人を見て、苦笑いするっていう意味なんだよ。
たとえば、学校でちょっと変わった趣味を持っている子が、さらに変わった趣味を持っている子を見て、「へえ、自分よりもっと変わってる人がいるんだ」と思って苦笑いするみたいなことが「脛者の苦笑い」に当たるんだ。
このことわざは、どんなに変わっていると思っている人にも、もっと変わった人がいることを教えてくれるんだよ。だから、自分とは違う人を見ても、おかしく思ったりしないで、いろんな人がいることを受け入れることが大切なんだね。
「脛者の苦笑い」の使い方
自分は変人だと思っていたけど、まだ上がいたわ。
そんなに変人じゃないよ。
しかも自覚していないわ。脛者の苦笑いっていうけど、本当に苦笑いが浮かぶのね。
いやいや、僕はともこちゃんほどじゃないって。
【スポンサーリンク】
「脛者の苦笑い」の例文
- 私も変わった食べ方をするが、納豆にケチャップとドレッシングをかけて食べる彼を見て、脛者の苦笑いだと思った。
- 僕も変人と言われることがあるが、健太くんはさらに変わっているので脛者の苦笑いだ。
- 冷蔵庫に教科書を入れるなんて脛者の苦笑いだと思ったら、彼が寝惚けて入れただけだった。
- 彼女を見て脛者の苦笑いと感じたが、この広い世界にさらに上がいるのだろう。
- 脛者の苦笑いというように、自分より上がいるとはまだまだ井の蛙だったと反省する。