「宝の山に入りながら空しく帰る」の意味(出典)
【ことわざ】
宝の山に入りながら空しく帰る
【読み方】
たからのやまにいりながらむなしくかえる
【意味】
大きな利益を得るチャンスがあったにもかかわらず、何も得ることなくその機会を逃すこと。
「宝の山に入りながら空しく帰る」ということわざは、素晴らしい機会に恵まれたのに、最後には何も利益を得ることができなかったという状況を表しているんだよ。
なるほどな。それはつまり、チャンスがあるにも関わらず結局なんの得もなく終わっちゃうってことやな。
大チャンスが転がってきても、それをうまく活かせへんと、結局は何も得られへんってことを教えてくれてるんやな。
【出典】
「正法念経」
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「宝の山に入りながら空しく帰る」の解説
カンタン!解説
「宝の山に入りながら空しく帰る」っていう言葉は、仏教の経典「正法念経」から来ていて、すごく良い機会に出会ったのにそのチャンスを逃してしまって、結局は何も得ることができないで終わることを意味するんだよ。
たとえば、誕生日パーティーに行ったけど、ケーキを食べるのを忘れて帰ってきてしまった、みたいなことがそれに当たるかな。パーティーに行くのは楽しいけど、一番楽しみにしていたケーキを食べるのを忘れてしまったら、それはもったいないよね。それがまさに「宝の山に入りながら空しく帰る」ってことなんだ。
このことわざは、大切な機会を逃さないように、そしてチャンスを最大限に活用するように、という教えを伝えてくれているんだね。
「宝の山に入りながら空しく帰る」の使い方
ゴール前はがら空きだったのに。
ゴールのチャンスだったよね。
これは、宝の山に入りながら空しく帰るってやつよね。なんでゴールを決めなかったの?
躊躇しちゃったんだよね。
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「宝の山に入りながら空しく帰る」の例文
- またとないチャンスだったのにみすみす逃すとは、宝の山に入りながら空しく帰るようなものだ。
- この好機をいかせない人間は、いかなる時でも宝の山に入りながら空しく帰ることになるだろう。
- 目の前に宝があったのに、何も得ずに帰って来たのか。宝の山に入りながら空しく帰るだな。
- 宝の山に入りながら空しく帰るのは嫌なので、手ぶらでは帰らない。
- 僕のミスで何も得られないままに終わってしまった。宝の山に入りながら空しく帰るのは、針の筵で本当につらい。