「薄紙を剥ぐよう」の意味(語源由来)
【ことわざ】
薄紙を剥ぐよう
【読み方】
うすがみをはぐよう
【意味】
病気など悪い状態が、日に日によくなるさま。また、隠れていたものが表面に現れること。
それは病気が治ることや、困難な状況から抜け出すことを象徴しているんやな。それは一歩一歩、ゆっくりとだけど、確実に進んでいることを示してるんや。
【語源由来】
表面の薄い紙を少しずつはぎ取っていくようだということから。
「薄紙を剥ぐよう」の解説
「薄紙を剥ぐよう」っていうことわざはね、ちょっとずつでも確実に状態が良くなっていくことを表しているんだよ。特に、病気が少しずつ回復していく様子によく使われるよ。
たとえばね、風邪をひいてすごく体調が悪かった時に、毎日少しずつ元気になっていくときに使うんだ。あるいは、学校のテストで点数が悪かったけど、毎回少しずつ点数が上がってきたときにも使えるよ。
「薄紙を剥ぐよう」っていうのは、一枚一枚薄い紙をゆっくりと剥がしていくように、少しずつでも確実に良くなっていくことを示しているんだよ。だから、このことわざは「時間をかけてでも、少しずつでも進歩することの大切さ」を教えてくれるんだね。
「薄紙を剥ぐよう」の使い方
「薄紙を剥ぐよう」の例文
- 彼女は長い間入院しているけど、最近では状態が好転して、薄紙を剥ぐように回復に向かっているようです。
- もうダメかと思いましたが、病気なら危篤状態から薄紙を剥ぐように回復したとでもいうように、なんとか会社も持ち直しました。
- 可能な治療法を全て試してダメだったのに、ここしばらくは薄紙を剥ぐように状況が好転しているのは説明がつきませんが、これも生命の神秘なのでしょうか。
- ひどい怪我をした白鳥を保護して治療したもののもうダメかと思っていたら、薄紙を剥ぐようですけれど奇跡みたいに良くなっています。
「薄紙を剥ぐよう」の文学作品などの用例
だがこう言う程度に記憶の薄れた方が、愈舞台に向うと、後から後から薄紙を剝ぐように思い出されて来て、適当な用意を持って芝居に臨んでいると謂った頃合いの知識になっているだろうから、此はきっと楽しいぞ。(折口信夫のなよたけの解釈より)
まとめ
薄紙一枚では目に見えた変化は分かりませんが、数十枚になれば変化が実感できることを表したことわざです。毎日毎日確実に一枚づつ変化していくことの大切さ諭(さと)しているようです。病気以外でも毎日の努力の積み重ねが大切です。何事もあきらめないで頑張ることが大切です。