【故事成語】
間然する所無し
【読み方】
かんぜんするところなし
【意味】
非難すべき欠点が少しもなく、非の打ち所がないこと。


【英語】
・beyond reproach.(非難される点がない)
【類義語】
・非の打ち所がない(ひのうちどころがない)
・完全無欠(かんぜんむけつ)
【対義語】
・瑕疵(かし)
・疎漏(そろう)
「間然する所無し」の故事
「間然する所無し」は、『論語』(ろんご)「泰伯(たいはく)」に出てくる言葉にもとづきます。『論語』は、孔子とその弟子たちの問答や言行を記した中国儒教の経典で、四書の一つです。
もとの文は、「子曰、禹吾無閒然矣」から始まります。書き下しでは、「子曰く、禹は吾間然すること無し」と読み、孔子が古代の聖王である禹(う)をほめた言葉です。
禹は、古代中国の伝説上の聖天子で、舜(しゅん)から位を譲られ、夏王朝の開祖になったと伝わる人物です。大洪水をおさめ、治水に功績があった王として語られてきました。
『論語』のこの章では、禹が自分の飲食を粗末にしながら、鬼神への祭りを手厚くしたことが述べられます。自分の楽しみやぜいたくよりも、祭りや公の務めを大切にした姿が示されています。
続いて、禹は日常の衣服を粗末にしながら、祭りに用いる黻冕(ふつべん)を美しく整えたとあります。黻冕は祭りのための礼服で、個人の着飾りではなく、礼を尽くすための装いを指します。
さらに、禹は自分の住まいを質素にしながら、溝洫(こうきょく)、つまり田の間にある水路の整備に力を尽くしたとあります。自分の暮らしを飾るよりも、人々の生活を支える水の道に力を注いだのです。
孔子は、このような禹の姿を受けて、「禹は吾間然すること無し」と重ねて述べています。ここでの「間然」は、欠点を指摘して非難することを表し、「非難を差しはさむ余地がない」という意味につながります。
「間」は、すきま、または批評を入れる余地を表す字として働きます。「然」は状態を表す字で、「間然する所無し」は、批判を入れるすきまがないほど立派である、という形の言い方になっています。
日本語では、「間然」という言葉そのものが、平安時代後期ごろの『本朝文粋』(1060年ごろ成立)に「満座許諾、誰人間然」という形で出てきます。この用例では、ほかから口をはさんで批判する、という意味の働きがうかがえます。
「間然する所なし」に近い形は、室町時代中期の『文明本節用集』にも見られます。また、江戸時代前期の俳諧資料『破邪顕正返答』(1680年)には、「梅翁の句に間然する事なし」という用例があり、句に非難すべき点がないという意味で使われています。
近代には、夏目漱石の「文芸と道徳」(1911年・明治44年)にも、「間然するところなき」という形の用例が見られます。古典の一節から出た表現が、人物や文章、行いなどに欠点がないことを表す言葉として広く用いられるようになったのです。
現在の「間然する所無し」は、単に「よい」というだけでなく、細かく見ても非難すべき点がないほど整っている、という高い評価を表します。禹の政治をほめた孔子の言葉から、非の打ち所がないことをいう故事成語として伝わっています。
「間然する所無し」の使い方




「間然する所無し」の例文
- 彼の報告書は資料の選び方から結論まで整っており、間然する所無しと評された。
- その職人が仕上げた茶碗は形も色も美しく、間然する所無しの出来だった。
- 委員長の進行は時間配分も発言の促し方も見事で、間然する所無しだった。
- 祖母の作る正月料理は味つけも盛りつけもよく、家族みんなが間然する所無しとほめた。
- 新しい避難計画は細かな危険まで考えられており、間然する所無しと言える内容だった。
- 友人のピアノ演奏は音の強弱まで行き届き、間然する所無しのすばらしさだった。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・三省堂編修所編『三省堂ポケット 故事成語辞典』三省堂。
・『論語』。
・Cambridge University Press, 『Cambridge Dictionary.』























