【故事成語】
肝胆も楚越なり
【読み方】
かんたんもそえつなり
【意味】
見方によっては、近い関係にあるものも遠く、遠いものも近く思われることのたとえ。特に、近しい間柄でも心が合わなければ疎遠になることを表す。


【英語】
・It is a matter of perspective.(見方によって変わる)
【類義語】
・心合わざれば肝胆も楚越の如し(こころあわざればかんたんもそえつのごとし)
・肝胆胡越(かんたんこえつ)
【対義語】
・肝胆相照らす(かんたんあいてらす)
「肝胆も楚越なり」の故事
「肝胆も楚越なり」は、中国の思想書『荘子(そうじ)』内篇「徳充符」に見える「自其異者視之,肝膽楚越也;自其同者視之,萬物皆一也」という言葉にもとづく故事成語です。『荘子』は、中国の戦国時代の思想家・荘周とその後学に関わる書物であり、内篇七篇、外篇十五篇、雑篇十一篇の三十三篇から成ります。
「肝胆」は、肝臓と胆嚢を指します。体内で近くにあるものの代表として、「肝」と「胆」が取り上げられています。
「楚越」は、中国の戦国時代の楚国と越国を指します。楚と越は敵国どうしであったため、仲の悪いもの、また遠く隔たったもののたとえとして用いられました。
『荘子』「徳充符」では、魯の国に王駘という人物が登場します。王駘は刑罰によって足を失った人ですが、彼に従って学ぶ者は、孔子に学ぶ者と同じくらい多かったと語られます。
常季は孔子に、王駘とはどのような人物なのかをたずねます。王駘は、立って教えるわけでも、座って議論するわけでもないのに、弟子たちは空の器のような心で行き、帰るときには満たされたようになる、と不思議に思ったのです。
孔子は、王駘を聖人であると語ります。そして、死や生のような大きな変化にも心を動かされず、物の変化に引きずられることなく、その根本を守っている人物として説明します。
その説明の中に、「異なるものとして見れば、肝と胆でさえ楚と越のようであり、同じものとして見れば、万物はみな一つである」という言葉が出てきます。これは、物事は見る立場によって大きく違って見え、また一つに通じても見えるという意味です。
ここでの「肝胆も楚越なり」は、もともと人間関係だけをいう言葉ではありません。近いものと遠いもの、同じものと異なるものという区別は、見方によって変わるという、『荘子』らしい広い考えを表しています。
しかし、肝と胆は体内で近くにあるものであり、楚と越は互いに隔たった国として受け止められました。そのため、この句は後に、近いはずのものでも見方や心のあり方によって遠く思われる、というたとえとして理解されるようになります。
また、「心合わざれば肝胆も楚越の如し」という形では、気が合わないと、近親の間柄の者どうしであっても疎遠な他人のようになる、という意味になります。これは、『荘子』の句を、人と人との心の距離にしぼって用いた表現です。
中国西晋の盧諶「贈劉琨詩」にも、「肝胆楚越」にあたる古い用例があります。『荘子』の一句は、思想上の表現にとどまらず、後の詩文の中でも、物事の見え方や心の隔たりを表す言葉として受け継がれていきました。
日本語では、「肝胆も楚越」「肝胆も楚越なり」の形で用いられます。近いものが遠く思われるという意味だけでなく、近しい人どうしでも心が通わなければ遠い関係になる、という人間関係の戒めとしても使われます。
現在の「肝胆も楚越なり」は、仲が悪いことを単に強く言うだけの言葉ではありません。どれほど近い関係でも、見方や心の向きがずれると遠く隔たってしまうことを、肝胆と楚越という対照によって深く表す故事成語です。
「肝胆も楚越なり」の使い方




「肝胆も楚越なり」の例文
- 兄弟で同じ店を継いだが、経営方針が合わず、肝胆も楚越なりの状態になった。
- 長年の友人でも、互いの立場を思いやらなければ、肝胆も楚越なりとなる。
- 同じ研究室にいながら考え方が大きく異なり、二人の関係は肝胆も楚越なりであった。
- 親子であっても話し合いを避け続ければ、肝胆も楚越なりになりかねない。
- 同じ目標を持つ仲間のはずが、方法をめぐって対立し、肝胆も楚越なりの様相を呈した。
- 近い関係ほど、心が離れると肝胆も楚越なりという言葉が身にしみる。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・Cambridge University Press『Cambridge Dictionary』Cambridge University Press.
・『荘子』戦国時代。
・盧諶『贈劉琨詩』西晋。























