突然ですが・・・、
という会話を聞いたことはないでしょうか?
「的を射る」、「的を得る」一体どちらが正しいのでしょうか。
両者に違いはあるのでしょうか。そもそも「的を射る」ってどういう意味なんだろうと思う方もいるかもしれません。
ここからは「的を射る」の意味と、「的を得る」は本当に誤用なのかについて紹介していきます。
「的を射る」の意味
「的を射る」は広辞苑第七版によると、物事の肝心な点を確実にとらえるという意味です。
用例には「的を射た発言」とあります。
矢を的に向かって放ち、その矢が的に命中する様子から、物事の本質を射抜く、転じて的確に要点をとらえるという意味になりました。
ちなみに広辞苑には「的を射る」しか掲載されていません。
「的を得る」は誤用なのか、正しいのか。謎は深まるばかりです。
「的を射る」の使い方
意味が分かったところで使い方を見ていきましょう。
といった風に使います。
では、そろそろ最大の謎について考察してみましょう。
度々論争になる「的を得る」は誤用なんでしょうか。
「的を得る」は「的を射る」の誤用ではなくどちらも正解
文化庁が発表した「国語に関する世論調査」で、「的を射る」「的を得る」どちらを使うかという調査が、平成15年度と平成24年度の2回にわたってなされています。
2回も調査をするなんて、この論争がいかに注目度が高いかということがわかりますね。
「的を射る」を使う
平成24年度の調査では、「的を射る」を使う人は52.4%、平成15年度の調査では38.8%でした。「的を得る」を使う
平成24年度の調査では、「的を得る」を使う人は40.8%、平成15年度の調査では54.8%でした。
数値を見ると、本来の「的を射る」を使っている人が増えています。
そして、この調査では「的を射る」が正しいとされています。
しかし、2013年末、三省堂国語辞典の第7版が発売されたときに、この論争をしていた人たちの間に衝撃が走りました。
「的を得る」が「的を射る」と一緒に掲載され、編集委員の一人が「的を得る」を誤用としていたことが誤りだったと発言したのです。
『三省堂国語辞典』第7版では、従来「誤用」とされていることばを再検証した。「◆的を得る」は「的を射る」の誤り、と従来書いていたけれど、撤回し、おわび申し上げます。「当を得る・要領を得る・時宜を得る」と同様、「得る」は「うまく捉える」の意だと結論しました。詳細は「得る」の項を。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) December 15, 2013
引用:三省堂国語辞書編集委員飯間弘明さんのtwitter
三省堂国語辞典は第3版以降、「的を射る」の項で「(あやまって)的を得る。」と書き続けてきましたが、ここにきて意見が逆転し、「的を得る」が独立した項として掲載された上で、「あやまって」の注記が削除されました。
しかも、編集委員の方が公の場で謝罪をしています。
私たち使う側としては、辞書は絶対に間違いがないものという認識ですよね。その辞書が掲載したということは、「的を得る」は間違いではないということなのではないでしょうか。
まとめ
結論としては、「的を得る」は誤用ではないといえます。一部の辞書では正しい使い方と認定されました。
しかしながら、広辞苑をはじめとして多くの辞書が、「的を得る」を掲載していない辞書が多いことも事実です。
「的を得る」は、市民権を得てきているけれども、万人に認められるにはまだ早いといった感じでしょうか。普段の会話では使用しないほうが無難かもしれません。
もしあなたが友人との会話で「君の意見は的を得ているね。」と発言したら・・・、
「的を得るは間違いだよ。」
「三省堂国語辞書に載っているから正解なんだよ。」
「いいや。僕の家にある辞書には載っていないよ。」
といった論争になるかもしれませんね。
言葉は変わっていくものです。美しい日本語を守ろうとするあまり、誤用だ誤用だと目くじらを立てていると疲れてしまいますよね。
いつかはすべての辞書に「的を得る」が載る日が来るかもしれません。
例えば、「間髪を入れず(かんぱつをいれず)」
これは正確には「間、髪を容れず(かん、はつをいれず)」です。
「姑息な」は、卑怯なという意味だと思っている方が多いですが、正しい意味は、「一時しのぎの、その場のがれの」という意味です。
これらの言葉のように、間違っているとは知らずに使っている言葉が、実はたくさんあります。
「意味不明」を「イミフ」と言ってみたり、目に余るような言葉の乱れは許容してはいけないと思いますが、言葉が生まれた背景や歴史を感じながら、言葉の変遷に思いをはせ、会話を楽しむことができるといいですね。