【故事成語】
一人の斉語、衆楚のかまびすしきに耐えず
【読み方】
いちにんのせいご、しゅうそのかまびすしきにたえず
【意味】
教育や成長には、本人に教える人の力だけでなく、周囲の環境が強く影響するということ。よい教えを一人が授けても、周囲がそれに反する環境であれば、その教えは身につきにくいというたとえ。


【類義語】
・朱に交われば赤くなる(しゅにまじわればあかくなる)
・孟母三遷の教え(もうぼさんせんのおしえ)
【対義語】
・泥中の蓮(でいちゅうのはちす)
「一人の斉語、衆楚のかまびすしきに耐えず」の故事
「一人の斉語、衆楚のかまびすしきに耐えず」は、中国戦国時代の思想家である孟子(もうし)に関わる故事に基づく言葉です。孟子は、儒家の思想家である孟軻(もうか)を指すとともに、その思想を伝える書物の名でもあります。
この言葉のもとになった話は、『孟子』「滕文公下」に出てきます。孟子は、宋(そう)の王をよい方向へ導きたいと考える戴不勝(たいふしょう)に向かって、王のそばに一人のよい人物を置くだけで十分なのかを、たとえ話で説明します。
孟子は、楚(そ)の大夫が自分の子どもに斉(せい)の国の言葉を話させたいなら、斉の人を先生にするべきか、楚の人を先生にするべきか、と問いかけます。戴不勝が「斉の人を先生にする」と答えると、孟子は、たとえ一人の斉の人が教えても、大勢の楚の人がそばでやかましく楚の言葉を話していれば、毎日むち打って斉の言葉を覚えさせようとしても無理だ、と説きます。
原文には「一齊人傅之,衆楚人咻之」とあります。「一齊人」は一人の斉の人、「衆楚人」は大勢の楚の人、「咻」はやかましく言い立てることを表します。つまり、正しい先生が一人いても、まわり全体が別の言葉や習慣に満ちていれば、その子は先生の教えよりも環境の影響を強く受ける、というたとえです。
孟子はさらに、その子を斉の町である荘(そう)や嶽(がく)のあたりに数年置けば、今度は毎日むち打って楚の言葉を話させようとしても、楚の言葉を話せなくなる、と続けます。ここでは、無理に命じる力よりも、長く身を置く場所の影響のほうが大きいことが示されています。
このたとえは、単に言葉を覚える話ではなく、人の善悪やふるまいにも広げて考えるためのものです。孟子は、善い士である薛居州(せつきょしゅう)を一人だけ宋王のそばに置いても、王の周囲の人々が皆よい人物でなければ、王をよい方向へ導くことは難しい、と述べます。
こうして、「一人の斉語」は、一人のよい先生やよい働きかけを表し、「衆楚のかまびすしき」は、それを打ち消すほど強い周囲の声や環境を表すようになりました。現在の日本語では、教育には環境が大切であること、人はまわりの言葉づかい・考え方・生活態度に左右されやすいことを戒める故事成語として使われます。
この故事成語が伝えているのは、努力や教えが無意味だということではありません。むしろ、よい教えを生かすには、それを支える環境を整えることが欠かせない、という考えです。一人の教えを大切にするだけでなく、日々の言葉、友人関係、学ぶ場の雰囲気まで考える必要があることを、孟子のたとえは分かりやすく示しています。
「一人の斉語、衆楚のかまびすしきに耐えず」の使い方




「一人の斉語、衆楚のかまびすしきに耐えず」の例文
- 新しい部員に一人だけ丁寧に教えても、周囲が乱暴な言葉づかいなら、一人の斉語、衆楚のかまびすしきに耐えずという結果になりやすい。
- 家庭で読書をすすめても、友人全員が勉強をばかにする雰囲気では、一人の斉語、衆楚のかまびすしきに耐えずになりかねない。
- 職場の新人研修だけを整えても、現場の習慣が悪ければ、一人の斉語、衆楚のかまびすしきに耐えずである。
- 子どもの礼儀を育てるには、親の言葉だけでなく、学校や地域の雰囲気も大切で、一人の斉語、衆楚のかまびすしきに耐えずを忘れてはならない。
- よい指導者を一人置くだけでは足りず、仲間全体の学ぶ姿勢を整えなければ、一人の斉語、衆楚のかまびすしきに耐えずとなる。
- 一人の斉語、衆楚のかまびすしきに耐えずというように、よい習慣を身につけるには、自分がいる環境を選ぶことも重要だ。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・『孟子』戦国時代。























