【故事成語】
一簞の食一瓢の飲
【読み方】
いったんのし、いっぴょうのいん
【意味】
とても貧しい生活のたとえ。また、貧しい生活の中でも心の楽しみを失わず、清貧に安んじることのたとえ。


【英語】
・plain living and high thinking(質素な生活をしながら高い志を保つこと)
【類義語】
・箪食瓢飲(たんしひょういん)
・箪瓢(たんぴょう)
【対義語】
・錦衣玉食(きんいぎょくしょく)
・暖衣飽食(だんいほうしょく)
「一簞の食一瓢の飲」の故事
一簞の食一瓢の飲は、『論語』(孔子没後、孔子と門人たちの言行を儒家の一派が編集した中国の思想書)に由来する故事成語です。もとになったのは「雍也(ようや)」に出てくる、孔子が弟子の顔回(がんかい)をほめた一節です。
『論語』雍也には、「賢哉回也。一簞食,一瓢飲,在陋巷。人不堪其憂,回也不改其樂。賢哉回也」とあります。やさしくいうと、顔回は竹の器一つに盛った飯と、ひさご一つの飲み物だけで、陋巷(ろうこう:狭く見苦しい小路)に住んでいました。ふつうの人ならそのつらさに耐えられないのに、顔回は自分の楽しみを失わなかった、という内容です。
ここでいう「簞」は飯を盛る竹の器、「食」は飯を指します。また「瓢」はひさご、つまりひょうたんのような実をくりぬいた器で、「飲」は飲み物を指します。そのため「一簞の食、一瓢の飲」は、ただ「食事が少ない」というだけでなく、ごく粗末な飲食で暮らすほどの貧しさを表しています。
この故事で大切なのは、顔回が貧しかったことそのものではありません。孔子がほめたのは、貧しい暮らしの中にいても、学ぶ喜びや道を求める心を失わなかった点です。「人は其の憂いに堪えず」とあるように、他の人なら耐えられない生活であっても、顔回は「其の楽しみを改めず」と記されています。
この一節は、後の中国の書物にも受け継がれました。『孟子(もうし)』にも「一簞食,一瓢飲。人不堪其憂,顏子不改其樂」という形が出てきます。また、司馬遷の『史記(しき)』「仲尼弟子列伝(ちゅうじていしれつでん)」にも、孔子が顔回をたたえる言葉として同じ内容が記されています。
さらに、『漢書(かんじょ)』「貨殖伝(かしょくでん)」では、「顏淵簞食瓢飲」と、より短くまとまった形でも用いられています。ここから、「一簞の食一瓢の飲」という言い方だけでなく、「箪食瓢飲」という四字の形も、簡素な飲食や清貧の生活を表す言葉として広まっていきました。
日本語での古い用例としては、室町時代の『応永本論語抄』(1420年)に「顔子は一箪の食、一瓢の飲して楽しみ」という形が伝わります。ここでは、顔回の貧しい暮らしと、そこで楽しみを失わない心とが、すでに日本語の説明の中で結び付けて理解されています。
明治時代には、徳富蘇峰の『将来之日本』(1886年)に「箪食瓢飲は顔回が生活を保たんが為なり」という用例が伝わります。これは、原典の「一簞食,一瓢飲」という形から、後に「箪食瓢飲」という短い形も日本語の中で用いられるようになったことを示しています。
現在の一簞の食一瓢の飲は、単に貧乏をいう言葉ではなく、物は乏しくても心まで貧しくならない生き方を表します。粗末な食事や質素な暮らしの中で、学び、志、心の楽しみを保つ姿をいうところに、この故事成語の深い意味があります。
「一簞の食一瓢の飲」の使い方




「一簞の食一瓢の飲」の例文
- 祖父は若いころ、一簞の食一瓢の飲の暮らしの中でも、毎晩欠かさず本を読んだ。
- 一簞の食一瓢の飲という言葉は、貧しい生活に負けず志を守る姿を思わせる。
- 下宿時代の先生は、一簞の食一瓢の飲に近い生活をしながら研究を続けた。
- 山小屋での生活は一簞の食一瓢の飲だったが、自然を観察する喜びは大きかった。
- 豪華な食事はなかったが、一簞の食一瓢の飲のように、仲間と学ぶ時間を大切にした。
- 一簞の食一瓢の飲を理想化しすぎず、必要な助けを受けながらも、心の豊かさを忘れないことが大切だ。
主な参考文献
・松村明監修『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・『論語』。
・『孟子』。
・司馬遷『史記』。
・班固『漢書』。
・『応永本論語抄』1420年。























