【故事成語】
馬逸足有りと雖も輿に閑わざれば則ち良駿と為さず
【読み方】
うまいっそくありといえどもよにならわざればすなわちりょうしゅんとなさず
【意味】
どんなにすぐれた素質や才能があっても、正しい道を学び、身につけなければ、立派な人物とはいえないというたとえ。


【英語】
・Talent alone is not enough(才能だけでは足りない)
・Natural ability must be trained(生まれつきの力は鍛えなければならない)
【類義語】
・玉磨かざれば光なし(たまみがかざればひかりなし)
・玉琢かざれば器を成さず(たまみがかざればうつわをなさず)
【対義語】
・栴檀は双葉より芳し(せんだんはふたばよりかんばし)
「馬逸足有りと雖も輿に閑わざれば則ち良駿と為さず」の故事
「馬逸足有りと雖も輿に閑わざれば則ち良駿と為さず」は、中国の『中論(ちゅうろん)』に出てくる言葉に基づく故事成語です。『中論』については、後漢の儒学書で、徐幹が撰し、治学・法象・修本・虚道など二十編からなる書物という説明があります。
徐幹(じょかん)は、中国・魏の学者で、字は偉長、山東北海の人、建安七子の一人です。『中論』は、政治や道徳を儒家的な立場から述べた書物として伝わっています。
この言葉が出てくるのは、『中論』の「治學第一」です。「治學」は、学ぶことの意味や、君子となるための修養について述べる部分です。
原文には、「馬雖有逸足,而不閑輿,則不爲良駿;人雖有美質,而不習道,則不爲君子」とあります。これは、「馬にすぐれた足があっても、車に慣れていなければ良い馬とはいえず、人にすぐれた素質があっても、道を学ばなければ君子とはいえない」という意味です。
「逸足」は、足の速いこと、またそのものを指す言葉です。人について用いる場合には、すぐれた能力や才能をもつこと、またその人を指す意味にも広がります。
「輿」は、ここでは車や乗り物を指します。「閑」は、この言葉では「ならう」「慣れる」という意味で、馬が車を引く働きに慣れることを表します。
古代の馬には、ただ速く走るだけでなく、人を乗せたり、車を引いたり、命じられた働きを果たしたりすることが求められました。そのため、足の速さだけでは「良駿」、すなわちすぐれた馬とは呼べないのです。
この比喩は、そのまま人間の学びに移されています。どれほど生まれつきの素質が美しくても、学問や道義を身につけなければ、君子とはいえないという教えです。
『中論』の同じ段落では、君子にとって学びを怠らないこと、志を立てることが大切だと述べています。才能だけがあっても、志がなければ功を起こせないという考えが、この言葉の後にも続いています。
この故事成語は、才能そのものを否定する言葉ではありません。むしろ、才能を本当に役立つものにするには、訓練、学び、道義、志が必要であると教える言葉です。
現在では、勉強、スポーツ、仕事、芸術など、すぐれた力を持つ人が、その力を正しく磨き、よい目的に使う必要がある場面で用いられます。速い馬が車に慣れてこそ良い馬となるように、人も才能を学びと修養で整えてこそ、立派な働きができるという意味につながっています。
「馬逸足有りと雖も輿に閑わざれば則ち良駿と為さず」の使い方




「馬逸足有りと雖も輿に閑わざれば則ち良駿と為さず」の例文
- 学年で一番足が速くても、練習を怠って仲間に合わせられないなら、馬逸足有りと雖も輿に閑わざれば則ち良駿と為さずだ。
- 頭の回転が速いだけで人への思いやりを欠くなら、馬逸足有りと雖も輿に閑わざれば則ち良駿と為さずというべきだ。
- ピアノの才能があっても、基礎練習を続けなければ、馬逸足有りと雖も輿に閑わざれば則ち良駿と為さずに終わる。
- 仕事を早く覚える新人でも、約束や礼儀を軽んじるなら、馬逸足有りと雖も輿に閑わざれば則ち良駿と為さずである。
- 発想の豊かな人ほど、学びと責任感を備えなければ、馬逸足有りと雖も輿に閑わざれば則ち良駿と為さずとなる。
- 能力の高さを誇るだけで努力をやめてしまえば、馬逸足有りと雖も輿に閑わざれば則ち良駿と為さずの結果を招く。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修『デジタル大辞泉』小学館。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・徐幹『中論』後漢末期。























