【ことわざ】
男は辞儀に余れ
【読み方】
おとこはじぎにあまれ
【意味】
男は、謙遜しすぎるくらい控えめに振る舞うのがよいということ。


【類義語】
・実るほど頭を垂れる稲穂かな(みのるほどこうべをたれるいなほかな)
【対義語】
・傲岸不遜(ごうがんふそん)
「男は辞儀に余れ」の語源・由来
「男は辞儀に余れ」の「辞儀」は、ここでは頭を下げる動作そのものではなく、遠慮することや、謙遜して控えめに振る舞うことを表します。「余れ」は、普通の程度を越えるほど多くあれ、という命令の形です。したがって全体では、男は遠慮や謙遜が多すぎるくらいでよい、という教えになります。
「辞儀」には、挨拶として頭を下げる意味と、遠慮したり辞退したりする意味があります。後者の用法は、「時宜」や「時儀」という表記から移ったものです。「時宜」も古くは、物事を行うのに適した時や状況だけでなく、礼儀にかなった挨拶や、相手への配慮、遠慮などを表しました。音が同じで意味も近かったため、「時宜」「時儀」「辞儀」という表記が結び付いていきました。
このことわざの古い用例は、狂言『千切木(ちぎりき)』(室町時代末期から近世初期成立)に出てきます。古い本文では、現在の「辞儀」ではなく、「男は時宜にあまれ」という表記です。現在の形と読みは同じで、意味も、男は謙遜や遠慮を十分に持つべきだというものです。
『千切木』では、日頃から口出しの多い太郎が連歌の集まりに招かれず、腹を立てて会場へ押しかけます。太郎は仲間たちに悪口を重ねた末、皆から打ちのめされますが、その場では勇ましく反撃できません。後から来た女房に励まされ、ようやく仕返しへ向かうものの、相手が居留守を使うと急に威勢よく悪態をつくという、強がりで小心な人物として描かれています。
太郎は、なぜ踏み込んで勝負をしなかったのかと問われると、「はて、男は時宜にあまれといふ」と答えます。つまり、男は遠慮しすぎるくらいでよいということわざを持ち出し、自分がすぐに戦わなかった理由としているのです。続く「まづ某次第に召され」という言葉からも、自分から進み出ず、順番に呼ばれるまで控えていたのだという言い分が読み取れます。
この場面では、謙遜を勧める立派なことわざが、太郎の臆病さを取り繕う言い訳として使われています。そのため、観客はことわざ本来の教えを理解すると同時に、それを都合よく使う太郎のおかしさも味わうことができます。古い用例が、単なる教訓としてではなく、登場人物の性格を表すせりふに組み込まれている点が特徴です。
この詞章を伝える『大蔵虎寛本(おおくらとらひろぼん)』は、大蔵流の狂言師である大蔵虎寛が、寛政4年、すなわち1792年に筆録した狂言台本です。百六十五番の狂言を収めており、『千切木』の古いことわざを後世へ伝える重要な本文となりました。作品そのものは虎寛が筆録した時よりも古く、ことわざの用例も、室町時代末期から近世初期の詞章として扱われています。
江戸時代後期には、「男は辞儀に余れ、女は会釈に余れ」と、男女を並べた長い形も使われました。松葉軒東井が編んだ『譬喩尽並ニ古語名数』(1786年・江戸時代後期)には、「女は会釈にあまれ」が収められており、女性も何事につけ控えめにするのがよいという、当時の考え方を表しています。
こうして、古い「時宜」の表記は、遠慮や礼を連想しやすい「辞儀」へと移り、「男は辞儀に余れ」という形が広く知られるようになりました。ここで説いているのは、何も行動せずに引き下がることではなく、自分を誇りすぎず、相手への配慮と謙虚さを失わない態度です。
「男は辞儀に余れ」の使い方




「男は辞儀に余れ」の例文
- 祖父は、男は辞儀に余れと言って、自分の手柄を決して自慢しなかった。
- 表彰を受けた父は、男は辞儀に余れを心掛け、周囲の支えに感謝した。
- 男は辞儀に余れという教えを守り、彼は会議で自分の意見ばかり押し通さなかった。
- 監督は、優勝しても驕らないよう、選手たちに男は辞儀に余れと諭した。
- 兄は男は辞儀に余れを信条とし、成功を仲間全員の功績として語った。
- 地位が上がるほど男は辞儀に余れを忘れず、周囲へ丁寧に接するべきだ。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』全3巻、小学館、2005〜2006年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・笹野堅校訂『能狂言―大蔵虎寛本』全3冊、岩波書店、1942〜1945年。
・大蔵虎寛筆『大蔵虎寛本』1792年。
・松葉軒東井編『譬喩尽並ニ古語名数』1786年。























