【ことわざ】
男は裸百貫
【読み方】
おとこははだかひゃっかん
【意味】
男は、財産を何も持っていなくても、身一つで働き、大きな富を築けるだけの値打ちがあるということ。


【類義語】
・裸一貫(はだかいっかん)
・腕一本(うでいっぽん)
「男は裸百貫」の語源・由来
「裸」は、ここでは衣服を着ていない姿そのものではなく、金銭や財産、頼りになる後ろ盾などを何も持たず、自分の体だけである状態を表します。「百貫」は銭一貫の百倍を指し、銭の多さから転じて、非常に大きな価値のたとえにも用いられました。したがって、「男は裸百貫」は、何も所有していない状態を表す「裸」と、大きな値打ちを表す「百貫」とを結び付けた言い方です。
このことわざにおける「百貫」は、重さの単位ではなく、銭の価値を表しています。「百貫」という言葉には、百貫の重さという意味もありますが、この表現では「百貫文の値打ち」という意味で用いられています。財産が一文もなくても、働く力を備えた人そのものには、すでに大きな価値があるという見方です。
現在の形につながる古い用例は、笑い話を集めた『当世口まね笑』(1681年・江戸時代前期)に出てきます。そこには、「おとこははだか百貫と云が」とあり、男をほかの物と比べると値打ちが高い、という笑い話の中で使われています。
この用例は、「男は裸百貫」という言い方が新しく作られる場面ではなく、すでに知られていた言葉として持ち出されたものです。「……と云が」という書き方からも、17世紀後半には、人々の間で通じる言い回しになっていたことがうかがえます。
その五年後、井原西鶴の浮世草子(うきよぞうし)『好色五人女(こうしょくごにんおんな)』(1686年・江戸時代前期、井原西鶴著)には、「男は裸が百貫、たとへてらしても世はわたる」とあります。親の怒りを買い、財産や後ろ盾を失いかねない若者に対して、身一つになっても世の中を渡っていけると励ます場面で用いられています。
ここでは、「男は裸が百貫」と、「裸」のあとに「が」が入っています。現在の「男は裸百貫」とは形が少し異なりますが、何も持たない男にも大きな値打ちがあり、自分の力で生きていけるという意味は、すでに明確に表れています。
さらに、江島其磧の浮世草子『傾城色三味線(けいせいいろじゃみせん)』(1701年・江戸時代中期、江島其磧著)には、「男は裸百貫と申す。気落ちなされな」とあります。ここでは、現在と同じ「男は裸百貫」という形で、落ち込んでいる人を元気づけるために使われています。
このように、1681年の「おとこははだか百貫」、1686年の「男は裸が百貫」、1701年の「男は裸百貫」と、助詞や表記には違いがありました。しかし、「男」「裸」「百貫」という三つの要素と、財産がなくても働く力には大きな値打ちがあるという意味は一貫しており、しだいに現在の形へと整っていきました。
このことわざは、男性が外で働き、財産や地位を自ら築くものと考えられていた時代の価値観を映しています。現代では、性別そのものによって人の値打ちを決める表現ではなく、持ち物や財産を失っても、その人が身につけた能力や経験、再び立ち上がる力までは失われない、という励ましの言葉として受け取ることができます。
「男は裸百貫」の使い方




「男は裸百貫」の例文
- 財産を失った父に、祖父は男は裸百貫だと言って再出発を励ました。
- 店をたたんだ職人は、男は裸百貫の心で新しい工房を開いた。
- 男は裸百貫というように、彼には一から事業を築き直せる技術と経験がある。
- 若いころ一文無しだった祖父は、男は裸百貫を支えに懸命に働いた。
- 会社が倒産しても、男は裸百貫だと気持ちを切り替え、新しい仕事を始めた。
- 長年の努力で身につけた腕は失われないと、兄は男は裸百貫を胸に立ち上がった。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・佐竹秀雄・武田勝昭・伊藤高雄編、北村孝一監修『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』小学館、2012年。
・『当世口まね笑』1681年。
・井原西鶴『好色五人女』1686年。
・江島其磧『傾城色三味線』1701年。























