【ことわざ】
表木綿の裏甲斐絹
【読み方】
おもてもめんのうらかいき
【意味】
外から見える部分は地味にしながら、人目につかない部分にぜいたくをすること。江戸っ子の好みや粋な美意識を表す。


「表木綿の裏甲斐絹」の語源・由来
「表木綿の裏甲斐絹」の「表」は、着物の外側に出て、人の目に触れる表地を指します。「表木綿」とは、その表地に木綿を用いることです。一方、「裏甲斐絹」は、着物の内側に付ける裏地として甲斐絹を用いることを表します。つまり、外からは質素な木綿の着物に見えても、内側には上質な絹織物を使うという、表と裏の取り合わせから生まれたことわざです。
甲斐絹(かいき)は、現在の山梨県東部にあたる郡内(ぐんない)地方で作られた、薄く光沢のある上質な絹織物です。なめらかで滑りがよく、色柄も美しかったため、着物や羽織の裏地として重宝されました。外からはほとんど見えない裏地に高級な甲斐絹を使うことは、実用のためだけでなく、着る人自身が楽しむぜいたくでもありました。
甲斐絹のもとになった織物は、戦国時代後期から江戸時代初期にかけて、南蛮貿易によって伝わった「海気」と呼ばれる生地だといわれています。元亀年間から慶長年間末、すなわち1570年ごろから1615年ごろまでの間に日本へもたらされ、のちに郡内地方でも似た生地が織られるようになりました。
江戸時代中期には、郡内産の生地を「郡内海気」と呼ぶようになります。三宅也来が著した『万金産業袋(ばんきんすぎわいぶくろ)』(1732年・江戸時代中期)には、郡内地方で作られていた織物として、郡内嶋、白郡内、郡内太織、織色郡内、郡内平などを挙げ、織色郡内を「郡内海気」と呼ぶ旨が記されています。
「かいき」の表記には、海気、海機、改機、加伊岐など、さまざまな字が用いられました。「甲斐絹」という表記が一般に使われるようになったのは、明治時代に入ってからといわれています。そのため、江戸時代の作品では、現在の「甲斐絹」ではなく、「郡内縞」や「郡内」などの名で、郡内地方の絹織物が出てきます。
井原西鶴の『好色一代男(こうしょくいちだいおとこ)』(1682年・江戸時代前期)には、口止めの品として「郡内縞のおもて」を約束させられる場面があります。また、『好色五人女(こうしょくごにんおんな)』(1686年・江戸時代前期)では、八百屋お七が処刑の日に着ていた小袖を「郡内縞」と記しています。これらの用例から、郡内の絹織物が、江戸時代前期には上等な衣料として知られていたことが分かります。
近松門左衛門の『心中天の網島(しんじゅうてんのあみじま)』(1720年・江戸時代中期)や『心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)』(1722年・江戸時代中期)にも、「郡内」や「郡内島」という形で織物が登場します。郡内の生地は、衣服の色や仕立てを細かく描く場面に用いられており、当時の服装文化に深く入り込んでいたことがうかがえます。
江戸時代には、武士や町人が華美な服装をすることを抑える決まりが、たびたび設けられました。その中で、表には黒や紺などの落ち着いた色や質素な生地を用いながら、ふとした動きでしか見えない裏地には、美しい色柄や上質な織物を取り入れる装いが好まれました。羽織の内側から甲斐絹の柄がわずかにのぞく着こなしは、派手さを表に出さない江戸っ子の粋として親しまれました。
明治時代になると、甲斐絹は、質と生産量の両面で最盛期を迎えました。無地甲斐絹、絵甲斐絹、縞甲斐絹などの種類が作られ、裏地としての用途もさらに広がりました。表からは見えにくい場所で、美しい光沢や細かな柄を楽しめることが、甲斐絹の大きな魅力でした。
こうした服装の取り合わせを短く言い表したものが、「表木綿の裏甲斐絹」です。現在では、着物だけに限らず、外見は簡素でも、内側の材料や見えない細部に費用と手間をかけた品物についても用います。ただし、単に人の内面が優れているという意味ではなく、人目につかない部分に上質なものを取り入れて楽しむという、控えめなぜいたくを表すことわざです。
「表木綿の裏甲斐絹」の使い方




「表木綿の裏甲斐絹」の例文
- 祖父の羽織は外から見ると質素だが、美しい絹の裏地が付き、まさに表木綿の裏甲斐絹である。
- 表木綿の裏甲斐絹を好んだ江戸の人々は、人目につかない所にも装いの楽しみを求めた。
- 彼の上着は落ち着いた色合いだが、内側には精巧な模様があり、表木綿の裏甲斐絹という言葉がよく似合う。
- この鞄は外見こそ簡素だが、内張りには上質な革を使った表木綿の裏甲斐絹の作りである。
- その店は飾り気のない外観ながら、室内の調度品にはぜいたくを凝らした表木綿の裏甲斐絹の趣がある。
- 舞台衣装は表木綿の裏甲斐絹を意識し、表地を控えめにして裏地に鮮やかな模様を取り入れた。
主な参考文献
・三宅也来『万金産業袋』1732年。
・井原西鶴『好色一代男』1682年。
・井原西鶴『好色五人女』1686年。
・近松門左衛門『心中天の網島』1720年。
・近松門左衛門『心中宵庚申』1722年。























