「西施にも醜なる所有り」の意味(語源由来・出典)
【ことわざ】
西施にも醜なる所有り
【読み方】
せいしにもしゅうなるところあり
【意味】
完璧な人間などいないし、取り柄のないものもいない。
完全無欠な人間はおらへんし、まったく取り柄のない人もおらへんってことや。みんなそれぞれに良さがあるってことやな。
【語源・由来】
美しいと有名な西施でも欠点があるということから。
【出典】
「淮南子」
「西施にも醜なる所有り」の解説
「西施にも醜なる所有り」ということわざは、たとえ世界で最も美しいとされる西施であっても、完璧ではなく欠点があるということを示しているんだ。これは、「完全無欠な人間はいない」という普遍的な真理を教えてくれる表現なんだよ。
西施は、中国の春秋時代の美女で、その美しさは伝説的だったんだけど、このことわざは、彼女にだって完璧でない部分があるということを強調しているんだ。それは、どんなに素晴らしい人でも、どこかに欠点があるということを意味しているんだね。
この表現の反対の意味として、「まったく取り柄のない人もいない」ということも含まれているんだ。つまり、どんな人にも長所と短所があり、誰もが何かしらの価値を持っているということを示しているんだよ。
たとえば、非常に才能がある人でも完璧ではなく、また、平凡な人でも何かしらの長所や素晴らしい点を持っているということを、このことわざは教えてくれているんだ。これは、人間をより公平に評価し、自分や他人の欠点に対しても寛容であるべきだという教えを含んでいるんだね。
「西施にも醜なる所有り」の使い方
「西施にも醜なる所有り」の例文
- 西施にも醜なる所有りだから、多少の欠点には目をつむり良い所さがしをする。
- 誰でも長所や短所の両方があるものだ。西施にも醜なる所有りという。
- 彼はミスターパーフェクトと呼ばれているが、パーフェクトゆえに完璧主義で気難しい所があり、まさに西施にも醜なる所有りだ。
- 聖人とされる孔子だって、西施にも醜なる所有りというように欠点があったのだろう。
- 健太くんは良い人だが、西施にも醜なる所有りで足が臭いのが玉に瑕だ。