【ことわざ】
牛に経文
【読み方】
うしにきょうもん
【意味】
いくら説き聞かせても、まったく効き目がないことのたとえ。馬の耳に念仏と同じ意味で用いる。


【英語】
・like talking to a brick wall(壁に話しかけるように、相手が聞こうとせず無駄であること)
【類義語】
・馬耳東風(ばじとうふう)
・犬に論語(いぬにろんご)
・糠に釘(ぬかにくぎ)
・豆腐に鎹(とうふにかすがい)
【対義語】
・一を聞いて十を知る(いちをきいてじゅうをしる)
「牛に経文」の語源・由来
「牛に経文」は、牛にありがたい経文を聞かせても、その意味が牛には分からず、何の効き目もないという見立てから生まれたことわざです。「経文」は、仏教の経典に載せられた文章、または経典そのものを指します。
このことわざでは、経文そのものの尊さよりも、それを聞かされる相手が受け取れないことに重点があります。どれほど立派な言葉でも、相手に理解する気持ちや力がなければ、伝える側の努力は効果をもたない、という考えを表しています。
古い用例としては、人形浄瑠璃『小野道風青柳硯(おののとうふうあおやぎすずり)』(1754年・江戸時代中期、竹田出雲・吉田冠子・中邑閏助・近松半二・三好松洛合作)に、「汝等に言聞すは、牛に経文」と出てきます。ここでは、いくら言い聞かせても相手に通じない、という意味で使われています。
『小野道風青柳硯』は、宝暦4年10月3日に刊行された浄瑠璃の本として伝わります。作者として、竹田出雲、吉田冠子、中邑閏助、近松半二、三好松洛の名が記されています。
この用例からは、「牛に経文」が、江戸時代にはすでに人に言い聞かせても効き目がないことを表す言い方として使われていたことが分かります。牛に経文を聞かせるという場面は、実際の教えの場面ではなく、相手に言葉が届かないことを分かりやすく示す比喩です。
同じ発想をもつ言い方に、「牛経文(うしきょうもん)」もあります。これは、いくら説き聞かせても効果がないことを表し、「牛に経文」「馬の耳に念仏」と近い意味で使われます。
「牛経文」の用例としては、歌舞伎『宝莱曾我島物語』(1870年・明治時代初期、島の徳蔵作)に「石山硯の牛経文」という形が出てきます。この段階では、「牛に経文」という言い方だけでなく、「牛経文」という縮まった形でも、無駄な説き聞かせを表すことがありました。
似た発想をもつ別の表現に、「牛に対して琴を弾ず」があります。これは、中国宋の善郷が撰した『祖庭事苑(そていじえん)』に見える、魯の公明儀が牛の前で琴を弾いた故事にもとづく言葉です。
その故事では、公明儀が牛の前で名曲を弾いても、牛は知らん顔をして草を食べていました。ところが、蚊や虻の羽音、子牛の鳴き声をまねると、牛は反応したといいます。高尚なものでも、相手に合わなければ届かないという考えが表れています。
ただし、「牛に経文」は、中国の具体的な人物の故事そのものを表す言葉ではなく、牛と経文という組み合わせによって、説き聞かせの無効さを示す日本語のことわざとして用いられています。現在でも、注意や説明を重ねても相手に少しも届かない場面で、ややあきれた気持ちをこめて使います。
「牛に経文」の使い方




「牛に経文」の例文
- 何度注意しても弟はゲームの時間を守らず、母の言葉は牛に経文だった。
- 先生が安全なはさみの使い方を説明しても、聞いていない児童には牛に経文になってしまう。
- 締め切りを何度伝えても部員が動かず、部長の呼びかけは牛に経文のようだった。
- 節電の大切さを話しても、電気をつけっぱなしにする父には牛に経文だ。
- 取扱説明書を読んで聞かせても、機械を雑に扱う人には牛に経文でしかない。
- 会議で改善点を丁寧に伝えたが、相手が聞く気をもたなければ牛に経文に終わる。
主な参考文献
・精選版日本国語大辞典編集委員会・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2006年。
・松村明監修『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・竹田出雲・吉田冠子・中邑閏助・近松半二・三好松洛『小野道風青柳硯』1754年。
・善郷撰『祖庭事苑』宋代。























