【ことわざ】
勝てば官軍、負ければ賊軍
【読み方】
かてばかんぐん、まければぞくぐん
【意味】
戦いに勝ったほうが正義とされ、負けたほうが不義とされること。道理がどうであれ、強い者・勝った者の言い分が通りやすいというたとえ。


【英語】
・Might is right.(力は正義である)
【類義語】
・無理が通れば道理引っ込む(むりがとおればどうりひっこむ)
・泣く子と地頭には勝てぬ(なくことじとうにはかてぬ)
・勝ち馬に乗る(かちうまにのる)
【対義語】
・判官贔屓(ほうがんびいき)
「勝てば官軍、負ければ賊軍」の語源・由来
「勝てば官軍、負ければ賊軍」は、明治維新の前後に起きた政治と戦争の現実を背景にもつことわざです。「官軍」は政府側の正規の軍隊を指し、「賊軍」は反乱軍を指します。
「官軍」は、広くは朝廷側の軍隊を表し、狭くは戊辰戦争(ぼしんせんそう)のときの新政府側の軍隊を指します。戊辰戦争では、幕府側が「賊軍」とされ、新政府側が「官軍」とされました。
戊辰戦争は、1868年1月、旧幕府軍と新政府軍が京都で衝突した鳥羽・伏見の戦いから始まり、約1年半続きました。旧幕府軍の最高指揮官であった徳川慶喜が大坂城を抜けて江戸へ向かったことで、旧幕府軍は大きく崩れていきました。
この戦いでは、政治の中心が大きく移り変わる中で、勝った側が新しい秩序を作り、負けた側は反逆の側として扱われました。そのため、このことわざは、単に「勝つことが大事」という明るい励ましではなく、勝敗によって正義や不義の名まで変わってしまうことへの苦い見方を含んでいます。
「官軍」と「賊軍」という言葉の対立は、戊辰戦争の時代だけで終わったわけではありません。1877年の西南戦争では、西郷隆盛が率いた鹿児島県士族を中心とする勢力が明治政府に反発して挙兵し、政府軍に鎮圧されました。
西南戦争のころにも、「官軍」「賊軍」という見方は強く意識されました。政治家の大江卓は、西南戦争で官軍が勝ったことを聞いて詠んだ漢詩の中で、「勝てば則ち官軍、敗るれば則ち賊」という趣旨を示しました。
この一節は、勝てば官軍として迎えられ、負ければ賊軍とされるという意味です。現在の形に近い「勝てば官軍、負ければ賊軍」は、こうした歴史的な経験と言い回しをもとに、勝敗と正邪が結びつけられてしまうことを表す言葉として定着していきました。
近代の文章にも、このことわざの用例が残っています。河上肇『マルクス主義批判者の批判』(昭和4年)には、「勝てば官軍、負くれば賊」という形が出て、革命の成否によって人物の評価が大きく変わることを述べています。
また、尾崎士郎『人生劇場 残俠篇』(昭和11〜12年)には、「勝てば官軍」という形の用例があります。ここでは、人生や勝負の場面で、負けることによって立場が弱くなるという実感を表す言葉として用いられています。
表記としては、「勝てば官軍」と短く言うこともあります。ただし、本来の意味の力は、「負ければ賊軍」と対にすることで、勝った側が正しく見られ、負けた側が悪く見られるという不公平さがはっきり表れるところにあります。
現在では、政治や歴史だけでなく、競争、議論、仕事、社会生活などにも広く使われます。勝った者の主張ばかりが通り、負けた者の事情や道理が軽く扱われるとき、このことわざは結果だけで善悪を決める危うさを示します。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」の使い方




「勝てば官軍、負ければ賊軍」の例文
- 選挙に勝った側の主張だけが急に正しいものとして扱われ、勝てば官軍、負ければ賊軍という言葉を思い出した。
- 会社の企画会議では、採用された案ばかりが評価され、不採用の案は忘れられたので、勝てば官軍、負ければ賊軍のようだった。
- 試合後の評判は勝者に集まり、敗者の努力は見過ごされがちで、勝てば官軍、負ければ賊軍とはよく言ったものだ。
- 歴史の評価は勝者の記録に左右されることがあり、勝てば官軍、負ければ賊軍という見方には注意が必要だ。
- 討論では相手を言い負かした人の意見が正しいように扱われたが、それは勝てば官軍、負ければ賊軍にすぎない。
- 新しい制度が成功すると反対意見は軽く見られ、勝てば官軍、負ければ賊軍の空気が強まった。
主な参考文献
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・国立国会図書館国際子ども図書館『中高生のための幕末・明治の日本の歴史事典』。























