【故事成語】
宴安は酖毒
【読み方】
えんあんはちんどく
【意味】
いたずらに遊び楽しむ安楽にふけることは、猛毒を飲むように、最後には身を滅ぼすというたとえ。


【英語】
・self-indulgence is like poison(安楽にふけることは毒のようなもの)
【類義語】
・安逸(あんいつ)
・放逸(ほういつ)
・偸安(とうあん)
【対義語】
・備えあれば憂いなし(そなえあればうれいなし)
「宴安は酖毒」の故事
「宴安は酖毒」は、中国の古典『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』閔公元年に出てくる言葉にもとづきます。『春秋左氏伝』は『春秋』の解釈書の一つで、伝統的には左丘明の作と伝えられますが、作者や成立年代には議論があり、漢代の学者が伝承史料をもとに編集したものと考えられます。
故事の場面は、春秋時代の諸国が互いに争い、北方の勢力の侵攻にも向き合っていた時代です。『春秋左氏伝』閔公元年には、狄人が邢を攻め、斉が邢を救ったことが記されています。
このとき斉の君主に進言したのが、管敬仲、すなわち管仲です。管仲は春秋時代の斉の宰相で、桓公に仕えて富国強兵を進め、斉を強国にした人物です。
斉の桓公は、中国春秋時代の斉の君主で、前685年から前643年まで在位しました。管仲を登用して国の力を整え、諸侯を会同して覇者となった人物です。
『春秋左氏伝』では、管仲が斉侯に向かって、戎狄は豺狼のようなもので満足させることができず、諸夏は親しいものであり、捨ててはならない、と説きます。そのうえで「宴安酖毒、不可懷也」と述べ、安楽にふけることは酖毒であり、心に抱いてはならないと戒めます。
ここでいう「宴安」は、遊び楽しみ、気楽に暮らすことを表します。戦いや救援を前にして、国の責任を忘れ、ただ安楽に流れる態度を指す言葉として使われています。
「酖毒」は「鴆毒」とも書き、鴆という鳥の羽にある猛毒、またはその羽を酒に浸した毒を指します。甘く美味でありながら人を殺す毒とされ、そこから、見た目には楽しくても身を損なうもののたとえになりました。
この故事では、安楽そのものをすべて否定しているのではありません。国が危機に向き合うべき時に、楽なほうへ逃げ、なすべきことを忘れることが、毒を飲むのと同じほど危険だと教えています。
原典では「宴安酖毒」と続けて記されますが、日本語では「宴安は酖毒」という形で用いられます。「宴安」は遊楽にふけること、「酖毒」は人をそこなう猛毒であり、二つを結びつけることで、安楽におぼれる危うさを強く表しています。
日本語の古い漢文的な用例では、『本朝文粋』(1060頃・平安時代中期成立の漢詩文集)に「宴安」の例があり、遊び楽しむこと、気楽に暮らすことを表しています。また、『将門記』(940頃か・平安時代中期)には「鴆毒」の古い用例があり、猛毒を表す言葉として受け入れられていました。
こうして「宴安は酖毒」は、古代中国の政治的な戒めから、日本語でも人生や生活態度を戒める言葉として理解されるようになりました。今では、楽しいことに流されて努力や責任を忘れると、やがて自分を損なうという意味で使われます。
「宴安は酖毒」の使い方




「宴安は酖毒」の例文
- 遊び暮らすだけの毎日は楽に見えるが、宴安は酖毒で、やがて自分の力を失わせる。
- 受験を前にして勉強を避け続ける友人に、兄は宴安は酖毒だと静かに忠告した。
- 会社が順調なときほど、宴安は酖毒という戒めを忘れず、新しい備えを進めるべきだ。
- 健康なうちに生活を整えなければ、宴安は酖毒の言葉どおり、後で苦しむことになる。
- 目先の楽しみにばかり時間を使う生活は、宴安は酖毒という故事成語に当てはまる。
- 祖父は、成功したあとに努力をやめることこそ宴安は酖毒だと、何度も語っていた。
主な参考文献
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編集『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・白川静著『字通 普及版』平凡社、2014年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・Oxford University Press『Oxford Advanced Learner’s Dictionary』。
・『春秋左氏伝』。























