「虞芮の訴え」の意味(出典・故事)
【ことわざ】
虞芮の訴え
【読み方】
ぐぜいのうったえ
【意味】
お互いに自分の利益を主張し訴えること。自分の非を認め訴えを取り下げること。
それは、自分の間違いに気づいて、ちゃんと謙虚になる大事さを教えてくれる言葉やね。争い事でも、自分の非を認めることができるのは、えらいことやな。
【出典】
「史記」
【故事】
中国の虞と芮が境界線をめぐり争い、周の文王の裁決を求めに行ったところ、周では耕す者はあぜを譲り、道を歩く者は道を譲り合っているのを見て、自分たちの行為を恥じて訴えをやめたという。
「虞芮の訴え」の解説
「虞芮の訴え」というのはね、もともとは中国の昔の話から来ていて、虞と芮っていう二つの国が田をめぐって争っていたんだよ。で、その争いを解決してもらうために、周という国の文王っていう大切な人のところに行ったんだ。でも、周の国に行ったときに、そこの人たちがみんな協力的で、田を耕す人たちがお互いに道を譲り合って、道を歩く人もお互いに道を譲り合って、とっても仲良くやっているのを見て、二つの国は「なんでこんな小さなことで争ってたんだろう?」って思って、恥ずかしくなって、結局争いをやめたんだって。
この話から、「虞芮の訴え」っていう言葉が生まれたんだけど、これは、互いに自分の利益ばかりを主張して争うことや、自分の間違いに気づいて、争いをやめることの例えとして使われるんだよ。
例えばね、二人の友達がおもちゃをめぐって争っていたけど、大人の人たちが仲良く遊んでいるのを見て、「なんで争ってたんだろう?」って思って、おもちゃを取り合うのをやめて、仲良く遊ぶようになったっていう感じかな。つまり、小さな争いや自分の間違いに気づいて、仲良くやることの大切さを学ぶっていう意味が込められているんだね。
「虞芮の訴え」の使い方
「虞芮の訴え」の例文
- 虞芮の訴えのように、彼は自分の行為を恥じて訴えを取り下げた。
- 両者引き下がらず虞芮の訴えで泥沼の様相だ。
- 離婚の裁判は、虞芮の訴えとなることが多い。
- 弁護士や裁判官が親身になって話を聞くことで両者は冷静さを取り戻したようで、虞芮の訴えとなった。
- 虞芮の訴えとなり最高裁で争うことになった。