「百里を行く者は九十里を半ばとす」の意味(出典・類義語)
【ことわざ】
百里を行く者は九十里を半ばとす
【読み方】
ひゃくりをゆくものはくじゅうりをなかばとす
【意味】
百里の行程を旅する時は最後になるほど苦しいので、九十里で半分と考えるくらいにしないと無事に到達できない。同じように、何事をするにも、残り少しのところで気を引き締めないと失敗するという戒め。
目の前の成功に満足せず、最後まで集中して努力を続けることが、本当の達成につながるんやな。これは、何事にも言えることやね。
【出典】
「戦国策」秦策・武王。「詩に云わく、百里を行く者は、九十を半ばとす、と。此れ末路の難きを言うなり。」
【類義語】
百里の道は九十里が半ば。
「百里を行く者は九十里を半ばとす」の解説
「百里を行く者は九十里を半ばとす」という言葉は、目標に向かって努力している途中、特にゴールに近づいた時こそ、油断せずにさらに注意深く行動すべきだと教えてくれる言葉だね。これは、物事を成し遂げる過程で最後の段階が最も困難であることを意味しているよ。
この表現は、「戦国策」の中の一節から来ていて、途中まで来たからと言って安心してはいけない、目標の達成には最後まで集中し続ける必要があるという教訓を含んでいるんだ。たとえば、長い距離を歩いていると、最初は元気だけど、ゴールが近づくにつれて疲れが出てきたり、油断が生じたりすることがある。しかし、本当に大事なのは、その疲れや油断を乗り越えて、最後までしっかりと歩き切ることなんだ。
「百里を行く者は九十里を半ばとす」は、目標達成の際に最終段階で気を抜かず、最後まで全力を尽くすことの大切さを教えてくれているんだね。だから、何かを成し遂げようとしている時には、この言葉を思い出して、最後まで気を引き締めて取り組もう。
「百里を行く者は九十里を半ばとす」の使い方
「百里を行く者は九十里を半ばとす」の例文
- 百里を行く者は九十里を半ばとすという言葉があるが、九キロまで走ってゴールが視界に入ってきた時に、もうすぐゴールだと思ってしまい、どっと疲れが出て失速してしまった。
- 「監督、今日の一勝で優勝が見えてきましたね。」「いや、明日の試合が重要だ。百里を行く者は九十里を半ばとすというからね。」
- 百里を行く者は九十里を半ばとすというように、遠足は家に帰るまでが遠足なんですよと先生に言われたのに、帰宅途中に浮かれて、事故にあってしまった。
- 百里を行く者は九十里を半ばとすというけれど、もう少しで企画書が仕上がるというところで油断して背伸びをしたら、珈琲をこぼしてしまい、書き直しになってしまった。
- もう少しで、目標の体重まで減量できるというところで、最後のラストスパートをかけるために自分にご褒美をあげようと油断して食べたら、元の木阿弥になってしまったので、百里を行く者は九十里を半ばとすだと思った。
- 百里を行く者は九十里を半ばとすというが、あと少しで完成しそうだったので、ここは、あと半分のつもりで気を引き締めなおして頑張ろうと思い、最後までやり切ったのだった。
特に終盤になると、達成に向けた努力がより困難になることが多いから、90%まで来たら、まるでまだ半分しか進んでいないかのように心構えを新たにして、最後まで全力を尽くすべきだという意味があるんだよ。