【故事成語】
海棠眠り未だ足らず
【読み方】
かいどうねむりいまだたらず
【意味】
美しい女性が、酒に酔って眠ったあと、まだ眠り足りないように目もとをほんのり赤らめ、なまめかしくよわよわしく見えるさま。


【類義語】
・梨花一枝、春、雨を帯ぶ(りかいっし、はる、あめをおぶ)
・海棠の雨に濡れたる風情(かいどうのあめにぬれたるふぜい)
「海棠眠り未だ足らず」の故事
「海棠眠り未だ足らず」は、唐の皇帝・玄宗(げんそう)と楊貴妃(ようきひ)の逸話に結びつく言葉です。玄宗は唐の第六代皇帝で、楊貴妃はその寵妃として知られ、二人の物語は中国文学の大きな題材になりました。
この言葉のもとになる場面は、『楊太真外伝(ようたいしんがいでん)』(宋代初期、楽史作)に関わる話として伝わっています。『楊太真外伝』は、玄宗と楊貴妃の出会いから悲劇までを詳しく描く伝奇的な作品です。
『冷斎夜話(れいさいやわ)』(北宋、釈恵洪撰)には、この話を『太真外伝』に見えるものとして引き、玄宗が沈香亭に上って楊貴妃を召した場面が記されています。楊貴妃は朝の酒からまだ覚めきらず、侍女に支えられて現れ、酔った顔、残った化粧、乱れた髪、横になったかんざしのまま、十分に礼をすることもできなかった、とあります。
その姿を見た玄宗は、ただ酔っているのではなく、まさに海棠の眠りがまだ足りないのだ、という趣旨で言いました。原文では「是豈妃子醉,真海棠睡未足耳」とあり、楊貴妃の眠たげで赤みを帯びた美しさを、春に紅い花をつける海棠に重ねています。
海棠は、枝が垂れ、紅色の花を下向きに咲かせる庭木です。そのやわらかな色と少しうつむいた姿が、酒の酔いが残り、まだ眠りから離れきらない楊貴妃の表情に重ねられました。人の姿を花にたとえることで、単なる酔いではなく、気だるさを含んだ優美さとして受け取られるようになったのです。
後の詩文では、海棠を「眠る花」としてとらえる連想も広がりました。南宋の『海棠譜』には、蘇軾の海棠の詩「只恐夜深花睡去、更焼銀燭照紅粧」とともに、『太真外伝』のこの逸話が引かれており、海棠の花と楊貴妃の眠たげな美しさが結びついて受け継がれていたことが分かります。
日本語では、「海棠睡り未だ足らず」「海棠の眠り未だ足らず」などの形でも伝わっています。「睡り」は、花が眠っているように見える趣を強く出す表記であり、「眠り」と書いても、楊貴妃の酔後の美しさを海棠にたとえる意味の芯は同じです。
現在では、日常会話で広く使う言葉というより、古典・漢文・文学・美術の説明で用いられる、たいへん詩的な言い方です。眠たげなだけの様子ではなく、酒の酔い、赤みを帯びた目もと、よわよわしくなまめかしい美しさが重なったときに、この故事成語の意味がよく生きます。
「海棠眠り未だ足らず」の使い方




「海棠眠り未だ足らず」の例文
- その絵は、酔いから覚めきらない楊貴妃を海棠眠り未だ足らずの姿として描いている。
- 古い物語の中で、美しい人の眠たげな目もとを海棠眠り未だ足らずとたとえた。
- 舞台の役者は、酒宴のあとに少し伏し目になる場面で海棠眠り未だ足らずの趣を出した。
- 詩の解説では、紅を帯びた花と人の表情を重ねて海棠眠り未だ足らずを説明した。
- 祖母は古い画集を開き、海棠眠り未だ足らずとはこういう表情をいうのだと話した。
- この小説では、眠りから覚めきらない美女の様子を海棠眠り未だ足らずになぞらえている。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・楽史『楊太真外伝』宋代初期。
・釈恵洪『冷斎夜話』北宋。
・陳思『海棠譜』南宋。























