【故事成語】
快犢車を破る
【読み方】
かいとくくるまをやぶる
【意味】
勢いがありすぎて乱暴に見える子どもにも、将来大成する素質があるというたとえ。また、そのような力をよく導き、自制を教えて育てるべきだという意味もある。


【類義語】
・大器晩成(たいきばんせい)
「快犢車を破る」の故事
「快犢車を破る」は、漢籍に出る「快犢破車」を訓読した形です。「快犢」は、勢いのよい子牛を表し、「破車」は車を壊すことを表します。もとの形は、力の強い牛がまだ子牛である時には、勢いあまって車を壊すこともある、というたとえです。
この故事は、『晋書』(648年成立、唐の房玄齢ら撰)巻一百六「石季龍載記上」に出てきます。『晋書』は晋と十六国の時代を扱う史書で、「載記」には華北の政権を立てた人々の事績が記されています。
物語の中心にいる石季龍は、のちに後趙の君主となる石虎の字にあたります。若いころの石季龍は、十七歳で石勒のもとに来ましたが、残忍な性格で、狩りを好み、弾を人に向けて放つことが何度もあり、軍中の人々を困らせていました。石勒はそのふるまいを危険だと見て、母の王氏に、石季龍を殺そうと考えていることを告げます。
その時、王氏は石勒を止めて、「快牛為犢子時,多能破車,汝當小忍之」と言います。これは、「よく走る強い牛も、子牛の時には車を壊すことが多い。あなたは少し我慢しなさい」という意味です。ここでは、乱暴さそのものをよいこととしているのではなく、強すぎる力をもった若者には、あとに大きく伸びる可能性もあるから、すぐに見捨てず、しばらくこらえて見守れ、という考えが示されています。
『晋書』では、このあと石季龍が十八歳になると、少し態度を改め、弓や馬にすぐれ、当時並ぶ者が少ないほど勇猛であったことも記されています。けれども同じ本文には、その後も酷烈なふるまいがあったことが続けて書かれています。そのため、この故事は、ただ「乱暴な子は大物になる」と明るく言い切るだけではなく、強い力をもつ者には、きちんと自制を教える必要がある、という戒めも含んでいます。
同じ話は、『魏書』(554年成立、北斉の魏収撰)巻九十五にも近い形で出てきます。そこでは、王氏の言葉が「快牛為犢子時,多能破車。為復小忍,勿却之」と記され、やはり「力のある子牛は車を壊すことがあるから、少し耐えて退けてはならない」という流れになっています。
この故事から、後に「快犢破車」という四字の形が生まれ、日本語では「快犢車を破る」とも読まれるようになりました。現在では、元気がありすぎて手に余る子どもや若者について、その力を将来性として見ながら、同時に自制や礼儀を教えて育てる、という意味で用いられます。
「快犢車を破る」の使い方




「快犢車を破る」の例文
- 新入部員は練習でつい前に出すぎたが、監督は快犢車を破るとして、基礎と礼儀を丁寧に教えた。
- わんぱくな弟の失敗を、母は快犢車を破ると見て、叱るだけでなく力の使い方を教えた。
- 授業中に質問を重ねすぎた生徒を、先生は快犢車を破ると受け止め、発言の順番を守らせた。
- 子どもの強い好奇心が周りを困らせたときこそ、快犢車を破るの心で導く必要がある。
- 社長は、型破りな若手の失敗を快犢車を破ると考え、責任を持たせながら育てた。
- 快犢車を破るとはいえ、人を傷つけるふるまいまで許してよいわけではない。
主な参考文献
・真藤建志郎『新版「四字熟語」の辞典』日本実業出版社、1993年。
・中華民国教育部編『重編國語辭典修訂本 第六版』中華民国教育部。
・房玄齢等『晋書』648年。
・魏収『魏書』554年。























