【ことわざ】
雲に梯
【読み方】
くもにかけはし
【意味】
とても実現しそうにない高い望みのたとえ。特に、とうていかなわない恋についていうことが多い。


【英語】
・ask for the moon.(とうてい手に入らないものを求める)
【類義語】
・高嶺の花(たかねのはな)
「雲に梯」の語源・由来
「雲に梯」の「梯」は、ここでは「かけはし」と読みます。「かけはし」は、谷や崖に掛け渡した橋を指すほか、上へ登るためのはしごや、階段状のものも指す言葉です。その梯を、地上から遠く離れた雲にまで掛けようとしても届かないことから、実現できそうにない望みのたとえとなりました。
なお、「雲に梯」と「雲の梯」は、形がよく似ていますが、意味の異なる表現です。「雲の梯」は、『蜻蛉日記(かげろうにっき)』(974年ごろ・平安時代)にも出てくる古い言い方で、たなびく雲を、空に架けられた通り道のように見立てます。一方、「雲に梯」は、雲を目指して梯を掛けようとする、かなわない試みを表します。
「雲に梯」の古い用例は、室町時代末から近世初めの狂言『金岡(かなおか)』にあります。この作品を収める『虎明本(とらあきらぼん)』は、寛永19年(1642)に、大蔵虎明が筆録した狂言台本です。
『金岡』では、絵師の金岡が、御殿で見初めた美しい女中への恋に心を奪われ、正気を失ったように京都の郊外をさまよいます。心配した妻が理由を尋ねると、金岡は、その女性を忘れられないのだと打ち明けます。
そこで妻は、「ようきかしめ、それはくもにかけはし、およばぬこひなり」と言い聞かせます。雲へ梯を掛けても届かないのと同じように、金岡の恋は、とうていかなわない「及ばぬ恋」だという意味です。この用例では、現在の「雲に梯」という漢字交じりの形ではなく、「くもにかけはし」と仮名で書かれています。
『浄瑠璃御前物語(じょうるりごぜんものがたり)』にも、「雲に梯、霞に千鳥」という形が出てきます。この物語は、奥州へ向かう源義経と浄瑠璃御前の恋を描いたもので、琵琶法師によって節をつけて語られ、人々に親しまれました。
物語の中で、浄瑠璃御前が「雲に梯、霞に千鳥」と口にすると、義経は、それが「及ばぬ恋」という意味なのかと問い返します。そして、人間と神仏との恋ならともかく、人と人との恋を、初めから及ばぬものと決める必要はないと語ります。この場面からも、「雲に梯」が、手の届かない相手への恋を表す言い方として、広く理解されていたことが分かります。
江島其磧の『傾城色三味線(けいせいいろじゃみせん)』(1701年・江戸時代前期)には、「手遠き恋の思ひ立雲にかけはし霞にちどり」とあります。ここでも、「雲にかけはし」と「霞に千鳥」が並べられ、相手までの隔たりが大きく、とうてい届きそうにない恋を表しています。
近代になると、恋愛以外の、手の届かない望みにも用いられました。幸田露伴の随筆『骨董(こっとう)』(大正15年)では、高価で優れた骨董品を手に入れることを、「雲に梯の及ばぬ恋路」にたとえています。ここでは、恋する相手ではなく、欲しくても自分の力では手に入れられない品物を表しています。
このように、「雲に梯」は、雲へはしごを掛けるという不可能な姿から生まれ、古くは主に「及ばぬ恋」を表しました。その後、恋愛に限らず、実力・立場・財力などから見て、実現がほとんど望めない高望みを表すことわざとして用いられるようになりました。
「雲に梯」の使い方




「雲に梯」の例文
- まだ一度も公式戦に出ていない選手が、来月の世界大会で優勝すると言うのは雲に梯だ。
- 限られた予算で国宝級の名画を買い取る計画は、雲に梯に等しい。
- 身分の差が厳しかった時代、二人の恋は雲に梯と見なされた。
- 設備も人手もない会社が、一週間で世界中に店を出すという目標は雲に梯だった。
- 手紙一通で王から城を譲ってもらおうとは、雲に梯の望みである。
- 彼は雲に梯と笑われた願いを見直し、まず実現できる目標から始めた。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2006年。
・大塚光信編『大蔵虎明能狂言集 翻刻註解』清文堂出版、2006年。
・信多純一・阪口弘之校注『新日本古典文学大系90 古浄瑠璃 説経集』岩波書店、1999年。
・江島其磧『傾城色三味線』1701年。
・幸田露伴『骨董』1926年。























