「能書きと矮鶏の時は当てにならぬ」の意味(語源由来)
【ことわざ】
能書きと矮鶏の時は当てにならぬ
【読み方】
のうがきとちゃぼのときはあてにならぬ
【意味】
自己宣伝は信用ができないということ。
誰かが自分のことを誇大に話してる時は、ちょっと疑ってかかった方がええってことやな。
【語源由来】
薬の効能書きと矮鶏が鳴いて時を知らせるのは、どちらも当てにならない。
「能書きと矮鶏の時は当てにならぬ」の解説
「能書きと矮鶏の時は当てにならぬ」という表現は、自己宣伝や見栄を張る言葉、つまり「能書き」は信用できないという意味を持っているんだ。このことわざは、人が自分のことを宣伝するときに使う言葉は、実際のところはそれほど信頼できるものではないという考えを示しているんだよ。
「矮鶏」は小さな鶏を意味していて、ここでは自分を大きく見せたいという心理を示しているんだね。つまり、この表現は、人々が自分自身をよく見せようとするときに語る過剰な自己宣伝や誇張は、実際の能力や実態とは必ずしも一致しないことを警告しているんだ。
たとえば、商売で商品を宣伝する際の大袈裟な説明や、履歴書における誇大な自己紹介などが「能書きと矮鶏の時は当てにならぬ」に当てはまるんだよ。
このことわざは、表面的な言葉や宣伝に騙されないようにし、物事の本質を見極めることの重要性を教えてくれているんだね。それは、見た目や言葉だけでなく、実際の内容や実態をしっかりと評価することが大切だということを示しているんだ。
「能書きと矮鶏の時は当てにならぬ」の使い方
「能書きと矮鶏の時は当てにならぬ」の例文
- 絶対痩せる薬らしいが、能書きと矮鶏の時は当てにならぬから信用ならない。
- 能書きと矮鶏の時は当てにならぬが、嘘、まぎらわしい広告は公共広告機構へ連絡を。
- 僕が口コミを信用して宣伝文句を信用しないのは、能書きと矮鶏の時は当てにならぬというからだ。
- 一週間で髪がふさふさと書いてあったのに、能書きと矮鶏の時は当てにならぬ結果になった。
- 面接の時の自己アピールは嘘ばかりだ。能書きと矮鶏の時は当てにならぬものだ。