【ことわざ】
濡れ手で粟
【読み方】
ぬれてであわ
【意味】
ほとんど苦労せずに、多くの利益を得ること。やすやすと金もうけをすることのたとえ。


【英語】
・easy money(苦労せずに得る金、たやすく入る利益)
・money for old rope(とても簡単なことで得る金)
【類義語】
・一攫千金(いっかくせんきん)
・海老で鯛を釣る(えびでたいをつる)
【対義語】
・骨折り損のくたびれ儲け(ほねおりぞんのくたびれもうけ)
「濡れ手で粟」の語源・由来
「濡れ手で粟」は、濡れた手で粟をつかむと、小さな粟粒が手にたくさんつくことから生まれたことわざです。粟は古くから食べられてきた穀物の一つで、粒が小さく軽いため、乾いた手でつかむよりも、濡れた手にまとわりつく様子を思い浮かべやすいものです。その具体的な動作が、苦労をあまりせずに利益が多く手に入ることのたとえになりました。
古い用例として重要なのが、『玉塵抄(ぎょくじんしょう)』に出てくる「ぬれ手のあわ」という形です。『玉塵抄』は漢籍の講釈を仮名で記した書物で、講義筆記の体裁をもち、当時の口語を伝える国語学上の資料として重んじられています。現存する写本には慶長2年(1597年)のものがあり、書中の記述から惟高妙安が講述者と考えられています。
『玉塵抄』の用例では、「ぬれ手のあわと云は物のたやすいことに云か」とあります。ここでは、現在のように金もうけだけを表すのではなく、「物事がたやすいこと」を言う表現として使われています。つまり、初期の段階では「濡れた手に粟がつくように、簡単である」という広い意味が強かったといえます。
その後、江戸時代前期の狂歌集『後撰夷曲集(ごせんいきょくしゅう)』(1672年・江戸時代前期、生白堂行風編)には、「ぬれ手て粟をつかむ」という形が出てきます。この書物は寛文12年に西田勝兵衛から刊行された十巻本で、狂歌の分野に属する資料です。ここでは「濡れた手で粟をつかむ」という、現在のことわざに近い形がまとまって出てきます。
この「濡れ手で粟をつかむ」という言い方は、具体的な動作をそのまま残しています。濡れた手で粟をつかめば、手に自然と粒がつく。そのため、力を入れてつかみ取ったというより、思いがけず多く手に入ったという印象が生まれます。ここから、単に「たやすい」だけでなく、「労力のわりに利益が大きい」という意味が強くなっていきました。
近代以降の用例では、利益や商売の文脈で使われることが目立ちます。岡本綺堂の『浪華の春雨』(1916年・大正5年)には、堂島の米商売に「濡手で粟」の大博奕を試みた人物が、目算を誤って破滅に向かう場面が出てきます。ここでは、楽に大きな利益を得ようとする考えが、危うさを含んだものとして描かれています。
現在の「濡れ手で粟」も、単に幸運を喜ぶだけの言葉ではありません。苦労せずに大きな利益を得る話には、うまくいきすぎる危うさや、ずるさへの批判が含まれることがあります。そのため、「濡れ手で粟のような話はない」のように、うますぎる話を警戒する文脈でもよく使われます。
なお、「粟」を「泡」と書くのは誤りです。泡はつかんでも手元に残りにくいものなので、利益が多く得られるというこのことわざの意味につながりません。もとの表現は、濡れた手に細かな粟粒がつくという生活感のあるたとえであり、そこから、少ない苦労で利益が多く入るという現在の意味へ定着しました。
「濡れ手で粟」の使い方




「濡れ手で粟」の例文
- 祖父の古い切手が高く売れ、濡れ手で粟のような臨時収入になった。
- その投資話は濡れ手で粟に聞こえるが、危険がないとは言い切れない。
- 人気商品を少し仕入れただけで大もうけした店は、まさに濡れ手で粟だった。
- 抽選で高価な景品が当たり、兄は濡れ手で粟だと喜んだ。
- 濡れ手で粟をねらって安易に商売を始めても、長く続くとは限らない。
- 友人は不要な家具を売って思わぬ利益を得たが、濡れ手で粟の幸運は二度も続かなかった。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・松村明監修『デジタル大辞泉』小学館。
・『玉塵抄』慶長2年写。
・生白堂行風編『後撰夷曲集』西田勝兵衛、1672年。
・Cambridge University Press『Cambridge Advanced Learner’s Dictionary & Thesaurus』。























