【故事成語】
奥に媚びんよりは寧ろ竈に媚びよ
【読み方】
おうにこびんよりはむしろそうにこびよ
【意味】
高い地位にありながら実権のない者に取り入るより、地位は低くても実際の権力を握る者に取り入るほうが得策だということ。


【類義語】
・竈に媚ぶ(かまどにこぶ)
「奥に媚びんよりは寧ろ竈に媚びよ」の故事
「奥に媚びんよりは寧ろ竈に媚びよ」は、古代中国の思想書『論語(ろんご)』「八佾(はちいつ)」第十三章に出てくる言葉です。『論語』は、春秋時代の思想家・孔子と弟子たちの言行を、孔子の没後に門人たちがまとめた全二十篇の書物です。
古代の家では、「奥」は室内の南西の隅にあたり、神を祭る尊い場所でした。一方、「竈」は煮炊きに使うかまどとその神を指し、奥の神よりも格は低いものの、毎日の暮らしに直接かかわる存在でした。
『論語』の原文には、「與其媚於奧、寧媚於竈」とあります。奥の神にこびるよりも、むしろ竈の神にこびよ、という意味で、尊いだけの相手よりも、実際に利益を与えられる相手の機嫌を取ったほうがよいという、当時の世俗的な考えを表しています。
この言葉について孔子に尋ねたのは、衛(えい)の大夫であった王孫賈(おうそんか)です。王孫賈は実際の政治に強い力を持っており、この問いには、君主に取り入るよりも、実権を持つ自分に取り入れと、孔子へ遠回しに迫る含みがあったと考えられます。
しかし、孔子は「然らず。罪を天に獲れば、禱る所無きなり」と答えました。天の道に背く罪を犯したなら、どの神に祈っても救われるところはない、という意味です。
つまり、孔子は、奥の神と竈の神のどちらへこびるべきかを選びませんでした。地位の高い者であれ、実権を持つ者であれ、利益のために人へ取り入るのではなく、天に恥じない正しい行いを守ることが先であると答えたのです。
このため、「奥に媚びんよりは寧ろ竈に媚びよ」という部分だけを取り出すと、実権者へ近づくほうが得であるという処世を表しますが、『論語』の章全体は、そのようなこびへつらいを孔子が退けた話になっています。言葉の表面の意味と、孔子の答えが示す教えとを分けて読むことが大切です。
日本では、『太平記(たいへいき)』(14世紀後半成立・南北朝時代、作者未詳)巻第十二に、「実に忠有る者は功を憑で諛はず、忠無き者は奥に媚び竈を求め」とあります。真に忠義のある者は、自らの功績を頼みにしてへつらわないが、忠義のない者は有力者へ取り入って恩賞を求める、という批判です。
この用例では、「奥」と「竈」が、すでに家の中の場所やかまどそのものではなく、地位や権力を持つ人物のたとえとして使われています。とりわけ「竈」は、表向きの地位よりも実際の力を握る人物を指す言葉として定着し、後には「竈に媚ぶ」という短い形でも用いられるようになりました。
現在では、正式な責任者を差し置いて、決定権を持つ側近や実務担当者の機嫌を取り、便宜を得ようとする行動を表せます。ただし、もとの章で孔子が示したのは、そのような打算に従うのではなく、誰に対しても正しい道を守ることの大切さです。
「奥に媚びんよりは寧ろ竈に媚びよ」の使い方




「奥に媚びんよりは寧ろ竈に媚びよ」の例文
- 社長ではなく決裁権を握る側近にだけ贈り物をする姿は、奥に媚びんよりは寧ろ竈に媚びよを思わせた。
- 奥に媚びんよりは寧ろ竈に媚びよという発想で、彼は名目上の責任者より実務担当者の機嫌を取った。
- 委員長を通さず、会場の使用を決める係に取り入ろうとするのは、奥に媚びんよりは寧ろ竈に媚びよのやり方だ。
- 取引を有利にするため、社長より購買責任者に近づく営業方針は、奥に媚びんよりは寧ろ竈に媚びよと批判された。
- 政治家本人ではなく有力な秘書へ便宜を求める行為に、奥に媚びんよりは寧ろ竈に媚びよという世俗的な考えが表れている。
- 奥に媚びんよりは寧ろ竈に媚びよへ流されず、彼女は正しい手順を踏んで願い出た。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・『論語』。
・『太平記』14世紀後半成立。




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