【故事成語】
過ちて改めざる是を過ちと謂う
【読み方】
あやまちてあらためざるこれをあやまちという
【意味】
過ちを犯すことそのものより、過ちと知りながら改めないことこそが本当の過ちだという戒め。


【英語】
・To err and not correct it — that is the real error.(誤っても直さないことが本当の誤りである)
【類義語】
・過ちては改むるに憚ることなかれ(あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ)
・過ちを弐たびせず(あやまちをふたたびせず)
「過ちて改めざる是を過ちと謂う」の故事
『論語(ろんご)』は、孔子の没後、門人たちが孔子の言行記録をまとめ、儒家の一派が編集した中国の思想書です。二十編からなり、人の生き方、政治、社会の倫理などについての短い言葉を多く収めています。
「過ちて改めざる是を過ちと謂う」は、その中の「衛霊公」の篇に出てくる孔子の言葉に基づきます。原文には「子曰:『過而不改,是謂過矣。』」とあり、過ちを犯したあとに改めないことを、まさに過ちと呼ぶ、という内容です。
ここで大切なのは、「過ちを一度も犯してはならない」という教えではないことです。人はだれでも間違うことがありますが、間違いに気づいたあと、直そうとするか、そのままにするかによって、その人の態度が分かれます。
古い注釈の『論語注疏』では、この章を、人に過ちを改めることを戒める章として読みます。そこでは、人に過ちがないことはなく、過ちがあっても改めることができれば大きな善であり、改めないことをこそ過ちという、と説かれています。
南宋の朱熹による『論語集注(ろんごしっちゅう)』も、この言葉をさらに分かりやすく受けとめています。過ちを犯しても改めれば過ちのない状態に戻り、ただ改めなければ、その過ちがそのまま固まってしまい、ついには改める機会を失う、という趣旨です。
『論語』には、過ちに気づいたときの態度をめぐる言葉がほかにもあります。「学而」の篇には「過則勿憚改」とあり、過ちがあれば改めることをためらってはならない、という教えが出てきます。また「子張」の篇には、小人は過ちを犯すと必ず取りつくろう、という言葉もあり、過ちを隠す態度への厳しい見方が示されています。
同じ「子張」の篇では、君子の過ちは日食や月食のように人々に見えるが、改めれば人々が仰ぎ見る、という言葉もあります。過ちを完全に消すのではなく、正しく認めて改める姿勢こそが人の信頼につながる、という考えがここにも表れています。
このように、「過ちて改めざる是を過ちと謂う」は、失敗そのものよりも、失敗を知りながら直さない心のあり方を戒める言葉として伝わりました。日本語では、漢文を読み下した形から、「過ちて改めざる、これを過ちという」「過ちて改めざる是を過ちと謂う」などの言い方で用いられています。
「過ちて改めざる是を過ちと謂う」の使い方




「過ちて改めざる是を過ちと謂う」の例文
- 掲示物の名前の誤りに気づきながら直さない態度は、過ちて改めざる是を過ちと謂うそのものだ。
- テストの採点ミスを知って黙っているなら、過ちて改めざる是を過ちと謂うという戒めを忘れている。
- 連絡先を間違えて配ったと分かった以上、過ちて改めざる是を過ちと謂うという戒めに従い、すぐ訂正版を出すべきだ。
- 友人への失礼な一言に気づいても謝らないのは、過ちて改めざる是を過ちと謂うと戒められる行いだ。
- 仕事の手順の誤りを隠せば、過ちて改めざる是を過ちと謂うが示すとおり、失敗をさらに重くする。
- 地域行事の案内文に誤りがあったとき、過ちて改めざる是を過ちと謂うを忘れず、すぐ訂正を知らせた。
主な参考文献
・松村明監修『デジタル大辞泉』小学館。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・『論語』。
・何晏集解、邢昺疏『論語注疏』。
・朱熹『四書章句集注』。























