「性は猶湍水のごとし」の意味(語源由来・出典)
【ことわざ】
性は猶湍水のごとし
【読み方】
せいはなおたんすいのごとし
【意味】
人間の本性は、善にも悪にもなるということ
渦巻く水のように変わりやすい性質を持ってるってことを表してる言葉やな。
【語源・由来】
人間の生まれ持った性質は渦を巻いて流れる水のようなものであるという意から。
【出典】
「孟子」
「性は猶湍水のごとし」の解説
「性は猶湍水のごとし」という表現は、人間の本性が善にも悪にもなり得る、流動的で変化しやすいものであるという意味を持っているんだ。ここでいう「湍水」とは、渦を巻いて流れる水、つまり常に変化している水の状態を指しているんだよ。
このことわざは、人間の本性は固定されたものではなく、状況や影響によって善にも悪にも変化し得るという考えを示しているんだ。つまり、人の性質は環境や経験によって変わることがあり、それはあたかも常に変化する渦巻く水のようなものだということだね。
たとえば、人は生まれながらに善良であるかもしれないけれど、様々な外部の影響や経験によって、その性質が変わる可能性があるということだよ。また、悪い行動をとる人も、適切な指導や環境があれば改善する可能性があるという考え方もこの表現に含まれているんだ。
「性は猶湍水のごとし」は、人の性質や行動は固定的なものではなく、常に変化し得るという人間の多様性と複雑さを示しているんだね。それは、人間の性質を柔軟に捉え、成長や変化の可能性を認めることの重要性を教えてくれているんだよ。
「性は猶湍水のごとし」の使い方
「性は猶湍水のごとし」の例文
- 家庭教育をしっかりすれば、性は猶湍水のごとしというから犯罪者を減らすことができるはずだ。
- 性は猶湍水のごとしだから、人との出会いで人間は善にも悪にもなる。
- 少し力を加えれば転がる玉が違う方向に向かうように、人は善と悪の道に転がり込む。性は猶湍水のごとしで生まれ持って良い人も悪い人もいない。運命がその方向に向かわせるだけだ。
- 性は猶湍水のごとし善でも悪でもない。どちらに向かうかはその人の心がけ次第。
- ともこちゃんは性善説を信じて、本当に悪い人なんていないと言っているが、性は猶湍水のごとし性善説も性悪説も間違っていて、人生の岐路でどちらを選ぶかで変わるだけだと僕は考える。