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「七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」の意味(出典)
【ことわざ】
七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず
しちじゅうにしてこころのほっするところにしたがえどものりをこえず
【意味】
70歳になると、心のおもむくままに行動しても道徳の規範から外れることはない。
つまり、歳をとると、自分の気持ちに正直に生きてもええんやね。それが、ちゃんとした人生の生き方ってことやな。
【出典】
「論語」
「七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」の解説
「七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」っていう言葉はね、70歳になったら、自分の気持ちのままに行動しても、道徳やルールからはみ出すことはないよっていう意味なんだ。
「矩」っていうのはね、もともとは定規のことを指しているんだけど、ここでは道徳の規範やルールっていう意味で使われているんだよ。
この言葉の出典は、「論語」という本で、孔子が74歳まで生きた時のことを書いてあるんだ。「従心」っていうのは、「心のままに従う」っていう意味で、70歳っていう年齢を指しているんだね。
例えば、おじいちゃんが70歳になったとして、自分がやりたいことをやって、自分が思った通りに生活しても、それは人に迷惑をかけることはないし、悪いことをすることもないっていうこと。だって、その頃にはもう人生の経験もたくさんしているから、どうしたらいいかちゃんとわかっているんだよね。
だから、「七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」っていう言葉は、年をとった人は経験も豊かで、道徳やルールをわきまえて行動できるっていう素敵な意味が込められているんだよ。
「七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」の使い方
「七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」の例文
- 七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えずというから、10代のぼくに自分をコントロールできるわけがない。
- 周りに気を使わず思うがまま行動しても迷惑をかけることがない。七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えずというが、年をとるって素晴らしい。
- 七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えずというが、僕も、細かく気を配らなくても正しい道を歩めるおじいちゃんになりたい。
- 年をとりできないことも増えるが、七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えずできることも増える。
- 五十にして天命を知り、七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えずとは長生きしないとだめだな。
「七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」の文学作品などの用例
大体に於ては若い時から外部の矩を能く守った人と思わるるにかかわらず、七十にして始めて矩を踰えないところに達したと断言せるを見れば、この矩は必ず内部の矩であったろうと思われる。(新渡戸稲造の自由の真髄より)
年を取ることで内面も磨かれ、正しい判断ができるようになるという考え方を表しているんだ。