「信心過ぎて極楽を通り越す」の意味
【ことわざ】
信心過ぎて極楽を通り越す
【読み方】
しんじんすぎてごくらくをとおりこす
【意味】
神仏を信じる心は、度が過ぎると迷信や邪道に走り人を地獄に落とす害をもたらす。
信心はほどほどにせよという戒め。
へー、そんなことわざがあるんやな。つまり、「信心もやり過ぎると良くない」ってことやな。信じることは大事やけど、度が過ぎると本来の目的から外れてしまって、逆にマイナスになるってことやね。
何事もバランスが大事やってことを教えてくれる言葉や。過剰な信心は逆効果になりかねん、ってことやな。
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「信心過ぎて極楽を通り越す」の解説
カンタン!解説
「信心過ぎて極楽を通り越す」ということわざは、信心があることは良いことだけど、それが度を超えてしまうとかえって良くない結果を招いてしまう、という意味の言葉なんだよ。
このことわざでは、「極楽」という言葉が使われているけど、これは仏教でいう極めて幸福な状態や場所を意味しているんだ。しかし、信心が行き過ぎると、本来目指すべき極楽の状態を超えてしまい、逆に邪道に陥ることを警告しているんだね。
たとえば、宗教的な信仰を持っていることは素晴らしいけれど、その信仰が極端になりすぎると、周りの人に迷惑をかけたり、自分自身の生活が困難になったりすることがあるんだ。また、あまりにも熱心になりすぎると、信仰の本質を見失ってしまうこともあるんだよ。
このことわざは、「信心はほどほどに」という教えを含んでいて、何事もバランスが大切だということを教えてくれるんだね。信心があることは大切だけど、度が過ぎると本来の目的を見失ってしまうことを、私たちに伝えている言葉なんだ。
「信心過ぎて極楽を通り越す」の使い方
神様を信じるのは悪いことじゃないよね。
神仏への畏敬の念を忘れたことで、人間はおごりたかぶり、地球を破壊し尽くそうとしているからね。でも信心過ぎて極楽を通り越すっていうから、ほどほどが良いわね。
信心過ぎて100万円のありがたい壺を購入してしまった。
クーリングオフしなさいよ。
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「信心過ぎて極楽を通り越す」の例文
- 神様に感謝する気持ちを持ち続ければそれでいいのに、信心過ぎて極楽を通り越し地獄行きだ。
- 新興宗教がたくさんあるが、お布施を請求する宗教にはかかわらない方が良い。家族も巻き込み信心過ぎて極楽を通り越す。
- 信心過ぎて極楽を通り越すことになるので、宗教にのめり込むのは良くない。
- 仏陀が裸で過ごしていたからと、同じように裸で過ごすと逮捕され信心過ぎて極楽を通り越すとなる。
- 何事もほどほどが良いというが信心に関しても同じで、信心過ぎて極楽を通り越し、地獄への門が開く。
信心もほどほどにすることが大切だという教えなんだ。