【ことわざ】
今泣いた烏がもう笑う
【読み方】
いまないたからすがもうわらう
【意味】
今まで泣いていた者が、すぐあとに機嫌を直して笑うこと。主に、子供の喜怒哀楽が変わりやすいことのたとえ。


【類義語】
・泣いた烏がもう笑う(ないたからすがもうわらう)
「今泣いた烏がもう笑う」の語源・由来
「今泣いた烏がもう笑う」は、泣いていた者がすぐに笑う様子を、烏にたとえて言うことわざです。ここでいう「烏」は、実際の鳥の行動を細かく写したものではなく、人間の泣き笑いを少しおどけて表すためのたとえとして使われています。
このことわざの中心は、「今泣いた」と「もう笑う」の対比にあります。「今」はつい先ほどという近さを示し、「もう」は時間を置かずに次の状態へ移ったことを示すため、感情の移り変わりの速さが一文の中にはっきり表されています。
古い形では、「泣いた烏がもう笑う」という言い方もあります。この形は、泣いたあとすぐ笑うような場合を冷やかして言うものとして使われ、「今泣いた烏がもう笑う」と同じ方向の表現です。
表記には、「泣いた」と「啼いた」のゆれがありました。鳥については「鳴く」と書くのが普通ですが、このことわざでは人間の涙を重ねるため、「泣く」という字を用いた形が広く定着しています。
明治期の用例として、山田美妙『まことに憂世』(1891年・明治時代、山田美妙著)には、「今啼いた烏もさすが笑って」という形が出てきます。愚痴がおさまり、軽口によって人物の気分が変わる場面で使われており、泣くような暗い気分から笑う方へすぐ移る意味が表れています。
斎藤緑雨『門三味線』(1895年・明治時代、斎藤緑雨著)には、「物の一時経たぬ間に今啼いた烏がもう笑ひ顔」という用例があります。「一時経たぬ間に」と続くため、短い時間のうちに泣き顔から笑い顔へ変わることが、ことわざの形で表されています。
この段階では、「泣いた」ではなく「啼いた」と書かれる例もありました。烏という鳥の表記を生かしながら、人の感情の変化を重ねるために、音としては同じ「ないた」を用いたといえます。
夏目漱石『吾輩は猫である』(1905〜1906年・明治時代、夏目漱石著)にも、「今泣いた烏がもう笑った」と拍子を取って歌ったという用例があります。ここでは、からかいの歌のように使われ、泣いたあとすぐ笑う様子を周囲が面白がって言う表現として働いています。
このように、明治期の文学作品には、「今啼いた烏」「今泣いた烏」「もう笑う」「もう笑った」といった近い形が現れます。固定した一つの言い方というより、泣いた直後に笑う場面を、口に出してからかう言い回しとして広まっていったことが分かります。
また、「鳴いた烏がもう笑う」という形もありますが、この形は「今泣いた烏がもう笑う」と同じ意味で用いられます。鳥としての烏を意識すれば「鳴いた」になり、人間の涙を意識すれば「泣いた」になるため、表記の違いは、このことわざの比喩の面白さにもつながっています。
現在では、主に子供の感情が変わりやすいことを表すことわざとして用います。泣いていた相手を強く責める言葉ではなく、さっきまで泣いていたのにすぐ笑顔になる様子を、ほほえましく、少し冷やかして言う表現です。
「今泣いた烏がもう笑う」の使い方




「今泣いた烏がもう笑う」の例文
- 弟はお気に入りの積み木が崩れて泣いたが、母が一緒に組み直すとすぐ笑い出し、今泣いた烏がもう笑うという様子だった。
- 運動会の練習で転んだ児童が、友だちに手を引かれるとすぐ走り出し、今泣いた烏がもう笑うように明るくなった。
- 妹は風船をなくして泣いていたが、新しい風船をもらうとすぐ笑顔になり、今泣いた烏がもう笑うとはこのことだ。
- けんかで涙をこぼしていた二人が、給食の時間には並んで笑っていて、今泣いた烏がもう笑うような仲直りだった。
- 幼い子が注射のあとに泣きやんでシールを見せびらかしている姿は、今泣いた烏がもう笑うの好例である。
- 舞台の出番前に不安で泣いていた子役が、拍手を受けた途端に笑顔になり、今泣いた烏がもう笑うという言葉がぴったりだった。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・松村明監修『デジタル大辞泉』小学館。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・山田美妙『まことに憂世』春陽堂、1891年。
・斎藤緑雨『門三味線』1895年。
・夏目漱石『吾輩は猫である』1905〜1906年。























