【ことわざ】
親の意見と茄子の花は千に一つも無駄は無い
【読み方】
おやのいけんとなすびのはなはせんにひとつもむだはない
【意味】
親が子どもの将来を思って述べる意見には、茄子の花と同じように、一つとして無駄なものがないという教え。


【類義語】
・冷や酒と親の意見は後から利く(ひやざけとおやのいけんはあとからきく)
「親の意見と茄子の花は千に一つも無駄は無い」の語源・由来
「親の意見と茄子の花は千に一つも無駄は無い」は、茄子には実を結ばずに終わる徒花(あだばな)がほとんどないことを、親が子どもに与える意見に重ねたことわざです。茄子の花が実につながりやすいように、親の忠告も子どもの将来を思って発せられるため、無駄にせず、耳を傾けるべきだと説いています。
ここでいう「意見」は、考えを述べ合うという現在の一般的な意味だけではありません。年長者が相手のためを思い、行いを改めるよう忠告したり、進むべき道を教えたりすることを指しています。したがって、このことわざは、親の言うことが何でも必ず正しいと断定するというよりも、子を思う親の忠告には将来役立つ内容が含まれているので、軽々しく聞き流してはならない、という教えを表しています。
このことわざには、「親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない」という形もあります。この場合の「仇(あだ)」は、人に害を与える敵という意味ではなく、「無駄」や「実を結ばないもの」という意味で用いられています。そのため、「仇はない」と「無駄は無い」は、表記こそ異なりますが、どちらも茄子の花には役に立たずに終わる花がほとんどないことを表しています。
また、「茄子の花と親の意見は千に一つも仇はない」のように前後を入れ替えた形や、後半を省いて「親の意見と茄子の花」とだけいう形もあります。長い言い回しの一部分を示すだけで、残りの文句と教えを思い起こさせる使い方です。
この表現は、「親の意見と・茄子の花は・千に一つも・無駄は無い」と区切ると、七・七・七・五の調子になります。この音数は甚句(じんく)や都々逸(どどいつ)に合うため、単に語り継がれただけでなく、村上甚句や安来節(やすぎぶし)など、各地の民謡の一節としても歌われました。
島根県の安来節では、「親の意見と 茄子の花は 千に一つの 仇がない」という形で歌われています。四つの短い句がよい調子で続くため、教訓を堅苦しく述べるのではなく、耳に残る歌として、人々の暮らしの中へ伝えることができました。
京都府京田辺市に伝わる茶摘み歌にも、「親の意見と 茄子の花と 千に一つの 仇もない」とあります。多くの人が長時間の茶摘みをしながら口ずさんだ歌の中に取り入れられており、この文句が特定の一地方だけでなく、仕事歌としても広く親しまれていたことが分かります。
鳥取県西部の盆踊り歌にも、「親の意見と茄子の花は/千に一つのあだもない」という一節が伝わっています。この歌は、明治四十四年生まれの伝承者から昭和六十一年に採集されたもので、近世民謡調の歌詞として記録されています。
このように、もとは茄子の花が実を結びやすいことを身近な農作物の知識として捉え、親の忠告の大切さに結び付けた表現です。それが、七・七・七・五の調子によって民謡や仕事歌、盆踊り歌の中にも取り入れられ、「仇はない」「無駄はない」などの形を生みながら、親の言葉を大切にするよう勧めることわざとして定着しました。
「親の意見と茄子の花は千に一つも無駄は無い」の使い方




「親の意見と茄子の花は千に一つも無駄は無い」の例文
- 親の意見と茄子の花は千に一つも無駄は無いというから、母の忠告をもう一度よく考えてみた。
- 祖父は、親の意見と茄子の花は千に一つも無駄は無いと孫を諭し、夜道を一人で歩かないよう注意した。
- 父に勧められて資格を取った彼は、就職してから親の意見と茄子の花は千に一つも無駄は無いと実感した。
- 親の意見と茄子の花は千に一つも無駄は無いとはいうものの、納得できない点は落ち着いて話し合うことも大切だ。
- 姉は母の生活上の助言に助けられ、親の意見と茄子の花は千に一つも無駄は無いとしみじみ語った。
- 親の意見と茄子の花は千に一つも無駄は無いという教えを胸に、少年は父から教わった避難経路を確かめた。
主な参考文献
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・公益財団法人日本漢字能力検定協会『漢字ペディア』。
・鳥取県立博物館『盆は来い来い、正月は来るな(盆歌)大山町羽田井』。
・京田辺市市史編さん室『一昔前の京田辺のくらし:茶摘み』。























