【ことわざ】
鴨の水掻き
【読み方】
かものみずかき
【意味】
何事もないように見えても、人には知られない苦労や努力があることのたとえ。


【類義語】
・縁の下の力持ち(えんのしたのちからもち)
【対義語】
・濡れ手で粟(ぬれてであわ)
「鴨の水掻き」の語源・由来
「水掻き」とは、水鳥などの足の指と指との間にある薄い膜です。泳ぐときに水を後ろへ押し、体を前へ進める働きをします。
水面に浮かぶ鴨は、外から見ると、のんびりと進んでいるように見えます。しかし、このことわざでは、その水面下で水掻きを動かし続ける姿に、人目につかない苦労や努力を重ねています。
この言い方の古い用例は、『新撰六帖題和歌(しんせんろくじょうだいわか)』(1244年ごろ・鎌倉時代)巻三に出てきます。そこには、藤原知家の歌として、「世にふればかもの水かきやすからず下の心は我れぞ苦しき」とあります。
『新撰六帖題和歌』は六巻から成る和歌集で、藤原家良・藤原為家・藤原知家・藤原信実・藤原光俊の五人が詠んだ歌を収めています。寛元年間、すなわち1243年から1247年ごろに成立した作品です。
歌を詠んだ藤原知家は、1182年に生まれ、1258年に没した鎌倉時代の公卿(くぎょう)・歌人です。六条家の歌人として活動し、勅撰和歌集にも多くの歌が採られました。
歌の初めにある「世にふれば」の「世に経(ふ)」は、この世で暮らし続けるという意味です。歌全体は、世の中で生きていくことは鴨の水掻きのように心安らかではなく、人には見えない心の内で自分も苦しんでいる、という内容に読めます。
「水かきやすからず」では、「水かき」と「安からず」が続き、表面下で休みなく動く鴨の足と、安らかではない人の暮らしとが結び付いています。また、「下の心」という言葉には、水面の下の動きと、人からは見えない心の内とが重なっています。
この歌には、さらに和歌らしい掛け詞(かけことば)の働きがあります。掛け詞とは、同じ音をもつ二つの言葉を重ね、一つの表現に二通りの意味を含ませる技法です。
「かも」は、鳥の「鴨」と「賀茂」に、「水かき」は、鴨の足の「水掻き」と「賀茂の瑞垣」に重ねられています。「瑞垣(みずがき)」は、古くは「みずかき」とも読み、神社や神聖な場所の周囲に巡らす垣を指しました。
このように、古い歌の「かもの水かき」には、鴨が水面下で足を動かす姿と、「賀茂の瑞垣」という言葉遊びの二つの層があります。そのうち、鴨の見えない動きを人知れぬ苦労になぞらえる意味が、現在のことわざへと受け継がれました。
昭和19年の宮本百合子『獄中への手紙 一九四四年』にも、「昔の歌人は、人間の営みのいとまなさを、やすむ間もなき鴨の水かきとよみました。悠々浮いているようでも、と」とあります。ここでも、ゆったりとして見える外側の姿と、休みなく続く内側の働きとが対照をなしています。
こうして「鴨の水掻き」は、穏やかに見える人にも、人目につかない努力や苦労があることを表すことわざとして定着しました。見た目だけでは、その人が陰で重ねている働きや、心の内に抱えている苦しさまでは分からないという意味を伝えています。
「鴨の水掻き」の使い方




「鴨の水掻き」の例文
- いつも落ち着いて授業を進める先生にも、鴨の水掻きのような入念な準備がある。
- 舞台で軽やかに踊る彼女の姿は、毎日の厳しい稽古に支えられた鴨の水掻きである。
- 家事と仕事を難なくこなす母にも、鴨の水掻きというべき人知れぬ苦労がある。
- 華やかな祭りの成功の陰には、実行委員たちの鴨の水掻きがあった。
- 会社の経営は順調そうに見えたが、その裏には社長の鴨の水掻きともいうべき資金繰りの苦労があった。
- 何でも器用にこなす友人の鴨の水掻きを知り、努力を怠らない姿に感心した。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・藤原家良ほか『新撰六帖題和歌』1244年ごろ。
・宮本百合子『獄中への手紙 一九四四年』1944年。























