【故事成語】
敢えて主とならずして客となる
【読み方】
あえてしゅとならずしてきゃくとなる
【意味】
自分から争いを起こして主導しようとせず、相手の動きに応じて慎重に構えること。特に、争いではむやみに前へ出ない態度をいう。


【類義語】
・敢えて寸を進まずして尺を退く(あえてすんをすすまずしてしゃくをしりぞく)
「敢えて主とならずして客となる」の故事
この表現のもととなったのは、中国の道家(どうか)の古典『老子(ろうし)』第六十九章です。『老子』という書物の成り立ちにはさまざまな見方がありますが、戦国時代中期ごろの墓から出土した竹簡(ちっかん)にも『老子』の一部が伝わっており、非常に古くから受け継がれてきた書物であることが分かります。
第六十九章は、「用兵有言:吾不敢為主,而為客;不敢進寸,而退尺。」と始まります。ここでは、兵を動かすことについて、「私は進んで主になることをせず、客になる。わずかに進もうとせず、むしろ大きく退く」という趣旨が述べられています。
ここでの「主」と「客」は、家の主人と訪問客という日常の意味を、そのまま述べたものではありません。「主」は自分から事を起こして攻める立場、「客」は相手の動きに応じて慎重に構える立場として使われ、先に争いを仕掛けない考え方を表しています。
この一句に続いて、陣を進める形もなく、腕を振り上げることもなく、武器を手にして敵へ向かうこともない、という趣旨の言葉が記されています。さらに、敵を軽く見ることほど大きな災いはなく、兵が向かい合うなら、争いを悲しむ側が勝つと述べられており、前へ出ようとしない態度は、争いと命を軽く扱わない慎みにつながっています。
この部分は、北京大学竹簡本や馬王堆(まおうたい)帛書(はくしょ)の甲本・乙本、後の時代に伝わった諸本にも残っています。細かな字の違いはありますが、「吾不敢為主而為客」という大切な部分の「主」と「客」には大きな揺れがなく、この対照が古くから伝えられてきたことがうかがえます。
ただし、古代の兵法書『孫子(そんし)』などでは、「客」は他国へ攻め入る遠征軍、「主人」は自国で迎え撃つ守備軍を指す用法があり、「客」は不利になりやすい側として語られます。『老子』が「客」となることを勧めるのは、軍事上の有利不利だけを述べるためではなく、争いを先に起こさず、前へ出ようとする心を抑える教えとして受け取ることができます。
このように、「敢えて主とならずして客となる」は、もとは戦いをめぐる一句ですが、今では、対立の場で自分から勢い任せに仕掛けず、相手に応じて落ち着いて身を処することを表す言い方です。そこには、単に目立たないでいるのではなく、争いを深めず、相手を侮らないようにするという重みがあります。
「敢えて主とならずして客となる」の使い方




「敢えて主とならずして客となる」の例文
- 外交の場で、相手を挑発せず協議を待つ姿勢は、敢えて主とならずして客となるという教えに通じる。
- 委員長は激しい非難にすぐ言い返さず、事実を示して答えることで、敢えて主とならずして客となる態度を貫いた。
- 兄は土地の境界をめぐる言い争いで先に怒鳴らず、敢えて主とならずして客となる道を選んだ。
- 両チームのもめごとで、監督は相手を責め立てず、敢えて主とならずして客となる構えで話し合いを求めた。
- 会社は競争相手への攻撃的な宣伝を控え、敢えて主とならずして客となる方針で信頼を守った。
- 村同士の水争いでは、敢えて主とならずして客となる心得を失えば、小さな対立が大きな争いに変わりかねない。
主な参考文献
・湯浅邦弘「『主』と『客』―兵家と道家を中心として―」『待兼山論叢 哲学篇』第49号、大阪大学大学院文学研究科、2015年。
・浅野裕一・竹田健二・湯浅邦弘ほか「郭店楚簡各篇解題」『中国研究集刊』第33号、大阪大学中国学会、2003年。
・『老子』第六十九章。























