【ことわざ】
悪性の気よし
【読み方】
あくしょうのきよし
【意味】
道楽者や浮気者のように身持ちはよくなくても、人当たりがよく、気のいい者が多いということ。


【英語】
・A rake may be good-natured.(道楽者にも気のよさはある)
・A philanderer can be charming.(浮気者にも人なつこさがある)
・Bad conduct and a kind manner do not always go together.(行いの悪さと人当たりの悪さは同じではない)
【類義語】
・鬼の目にも涙(おにのめにもなみだ)
【対義語】
・口に蜜あり腹に剣あり(くちにみつありはらにけんあり)
・笑中に刀あり(しょうちゅうにとうあり)
・鬼の念仏(おにのねんぶつ)
「悪性の気よし」の語源・由来
このことわざは、「悪性」と「気よし」という二つの言葉を合わせた形でできています。後ろの「気よし」は、そのまま、気立てがよい、人当たりがよいという意味です。
大事なのは、前半の「悪性」の読み方です。ここでは「あくせい」ではなく「あくしょう」と読み、たちの悪いこと、とくに酒色や浮気にふけるような身持ちの悪さを指す古い言葉でした。
この「あくしょう」という言い方は、少なくとも1674年(延宝2年・江戸時代前期)には、酒色や浮気にふけるありさまを表す語として使われています。さらに1700年(元禄13年・江戸時代前期)には、「悪性気」という形で、遊蕩にふける性質や浮気心を指す言葉も確かめられます。
そのため、このことわざの「悪性」は、生まれつき根が悪い人というより、遊び好きで身持ちがよくない人、恋や遊興に流れやすい人を指すと考えるのが自然です。言い方はきびしくても、意味するところは江戸時代の町人社会に見られた人柄の観察に近いものです。
ことわざそのものの古い用例としては、1786年(天明6年・江戸時代後期)の『譬喩尽(たとえづくし)』第六巻に出てきます。そこでは、この言い回しが、気立てのよい人物を述べる形で載せられています。
その古い例では、今の「気よし」に当たる部分が「気能」と書かれています。表記は今と少し違いますが、気立てのよさ、人当たりのよさを言っている点は同じです。
『譬喩尽』は、松葉軒東井(しょうようけん とうせい)が編んだ江戸後期の諺語辞典です。八巻から成り、1786年(天明6年・江戸時代後期)に序があり、ことわざを中心に、詩歌・童謡・流行語・方言まで広く集めた書物でした。
この本に収められているということは、「悪性の気よし」が、そのころにはすでに言い慣らされた言葉として通っていたことを示します。つまり、このことわざは、江戸時代の人びとが、遊び好きで問題もあるが、妙に人なつこくて憎めない人物像を見て言い表したものだと分かります。
ここで気をつけたいのは、このことわざが道楽や浮気をよいこととして勧めているわけではない、という点です。行いの悪さは悪さとして認めつつ、それでも気立てのよさまで否定はできない、という少し皮肉まじりの見方が、この言い回しにはあります。
のちの時代になると、「悪性」は「あくせい」と読んで、病気のたちが悪いことをいう意味でも広く使われるようになりました。今ではこちらの意味のほうがよく知られているため、このことわざを読むときは、古い読みの「あくしょう」を押さえることが欠かせません。
そう考えると、「悪性の気よし」は、ただ古い言い回しというだけではありません。人は一面だけでは決められず、欠点のある人が別の面では人に好かれることもある、その複雑さを短く言い当てたことわざだといえます。
「悪性の気よし」の使い方




「悪性の気よし」の例文
- 酒と遊びにだらしないが子供をかわいがる叔父を見て、祖母は悪性の気よしと言った。
- あの役者は女遊びの評判が絶えないが、気前のよさでは悪性の気よしといわれた。
- 若主人は道楽が過ぎるものの、奉公人にはやさしいので、古い番頭は悪性の気よしと評した。
- 町内では困り者と見られている男でも、子どもや老人には親切で、悪性の気よしという声があった。
- 取引先の男は遊興好きで信用は置けないが、人当たりだけ見れば悪性の気よしである。
- ただ愛想がよいだけの人物に悪性の気よしを使うのは適切でなく、遊び好きや浮気っぽさを含む人にいう。























