【故事成語】
牛に乗って牛を尋ねる
【読み方】
うしにのってうしをたずねる
【意味】
求めているものがすでに身近にあるのに気づかず、遠くや外側ばかり探し回ること。無駄な努力や、手元の答えを見落としている状態のたとえ。


【英語】
・right under one’s nose(すぐ目の前にあるのに気づかないこと)
【類義語】
・負うた子を三年探す(おうたこをさんねんさがす)
・灯台下暗し(とうだいもとくらし)
・騎驢覓驢(きろべきろ)
「牛に乗って牛を尋ねる」の故事
「牛に乗って牛を尋ねる」は、中国の禅の言葉「騎牛覓牛」にもとづく表現です。「騎」は乗ること、「覓」は探し求めることを表し、字の上では「牛に乗りながら牛を探す」という意味になります。
この言葉は、北宋の禅宗史書『景徳伝灯録(けいとくでんとうろく)』(1004年成立、道原著)巻九の「福州大安禅師」の話に出てきます。『景徳伝灯録』は、禅宗で法がどのように伝わったかを、インド・中国の諸師の伝記と系譜によって示した書物です。
話の中心となるのは、大安禅師と百丈懐海(ひゃくじょうえかい)です。大安禅師が「学ぶ者が仏を知りたいと思うとき、何がその仏に当たるのでしょうか」とたずねると、百丈は「大いに牛に乗って牛を探すのに似ている」と答えます。
ここでいう「仏」は、遠くのどこかにある特別なものではなく、本来の自己や、すでにそなわっている仏性に関わるものとして語られています。すでに牛に乗っているのに牛を探すというたとえによって、求めるものを外にばかり探す迷いを示しています。
大安禅師がさらに、仏を知ったあとにはどうすればよいかと問うと、百丈は「人が牛に乗って家に帰るようなものだ」と答えます。これは、外に探し回る段階を離れ、自分のもとへ帰っていくことを表しています。
また、どのようにその心を保てばよいかという問いには、牧牛人が杖を持って牛を見守り、他人の苗や稲を荒らさせないようにする姿がたとえとして示されます。悟りや気づきは一度分かれば終わりではなく、その後も心をよく見守る必要がある、という流れで語られています。
禅では、牛を心や修行の歩みに重ねて表すことがあります。たとえば「十牛」では、牧童が牛を尋ね、牛を見つけ、飼いならし、牛に乗って家へ帰るまでの過程が、修行の段階のたとえとして示されます。
「騎牛覓牛」は、そうした禅のたとえの中でも、求めるものがすでに身近にあるのに、それに気づかず外へ探しに行く姿を鋭く表した言葉です。後には「騎驢覓驢」、つまり驢馬に乗って驢馬を探すという近い形も用いられるようになりました。
日本語の「牛に乗って牛を尋ねる」は、この「騎牛覓牛」の考え方を、分かりやすい和語の形にした表現です。身近にあるものに気づかず、遠くまで求めるような無駄な努力をすることを表す言葉として用いられます。
現在では、禅の悟りだけでなく、日常の探し物、学習の答え、仕事の解決策、人間関係の大切なものなどにも広く使えます。もとの故事をふまえると、この故事成語は「遠くを探す前に、まず足元や自分の内側を見つめよ」という教えを含んでいるといえます。
「牛に乗って牛を尋ねる」の使い方




「牛に乗って牛を尋ねる」の例文
- 机の上に置いた鍵を探して家中を歩き回るとは、牛に乗って牛を尋ねるようなものだ。
- 新しい企画の材料を遠くに求めていたが、社内の記録を見れば十分で、牛に乗って牛を尋ねる結果になった。
- 家族のよさに気づかず、理想の相談相手を外に探すのは牛に乗って牛を尋ねるに近い。
- 答えは問題文の中に書かれていたのに、難しく考えすぎて牛に乗って牛を尋ねることになった。
- 地域の魅力を探しに遠方へ出かけたが、地元の商店街にこそ題材があり、牛に乗って牛を尋ねる思いをした。
- 自分の強みを見つけようとして本を読みあさったが、毎日続けている習慣を見落としていたので、牛に乗って牛を尋ねるだった。
主な参考文献
・馬場俊臣「『牛』に関することわざ:牛の何をどう捉えてきたか」『札幌国語研究』第15号、北海道教育大学国語国文学会・札幌、2010年。
・道原著『景徳伝灯録』1004年。
・道原纂『景徳伝燈録』宋版大蔵経本覆刻。
・中華民国教育部『重編國語辭典修訂本』第六版。
・Merriam-Webster『Merriam-Webster.com Dictionary』。























