【ことわざ】
螻蛄の水渡り
【読み方】
けらのみずわたり(おけらのみずわたりともいう)
【意味】
まねをして努力しても、結局は成し遂げられないこと。また、初めは熱心でも、途中であきらめてやめてしまうことのたとえ。


【英語】
・fall by the wayside(途中で挫折し、最後までやり遂げられない)
【類義語】
・三日坊主(みっかぼうず)
・三月庭訓(さんがつていきん)
【対義語】
・初志貫徹(しょしかんてつ)
「螻蛄の水渡り」の語源・由来
「螻蛄(けら)」は、地中に穴を掘って暮らすバッタ目ケラ科の昆虫です。体長は約三センチメートルで、土を掘るのに適した大きな前足をもち、「おけら」とも呼ばれます。
螻蛄は水に入ると泳ぎますが、その泳ぎは長く続きません。「螻蛄の水渡り」は、初めは懸命に泳いでいても、とうとう水を渡り切れない姿を、人の行動に重ねたことわざです。
水に入った直後は勢いよく進むため、見たところでは最後まで渡れそうです。しかし、その勢いを保てず、途中で力が続かなくなることから、熱心に始めても中途でやめてしまうことを表すようになりました。
また、泳ぎの得意なものと同じように振る舞おうとしても、螻蛄は長い距離を泳ぎ通せません。そこから、人のまねをして努力しても、力や方法が伴わず、結局は成し遂げられないことを表す意味も生まれました。
このことわざは、「けらの水渡り」と読む形のほか、「おけらの水渡り」ともいいます。「螻蛄」は昆虫の名を表す漢字であり、どちらの読み方でも、泳ぎが長続きしない虫の姿をもとにした同じ意味を表します。
明治時代の用例として、幸田露伴の紀行文『枕頭山水』(1893年・明治時代、幸田露伴著)に、「おけらの水渡りだ」という形が出てきます。道を誤ったとしても、一筋に進めばどこかへ出られるのに、途中で進む向きを変えてばかりいては目的地へ着けない、という文脈で使われています。
この用例では、螻蛄が水を渡り切れない姿を、進む道を定めず、物事を最後まで貫けない様子に重ねています。明治時代にはすでに、途中で方針を変えたり、最後までやり通さなかったりすることを戒める言い方として用いられていました。
さらに、昭和24年(1949年)から連載された幸田文の随筆『みそっかす』にも、「おけらの水渡り」という形が出てきます。幼いころ、父から智永の『千字文(せんじもん)』を習うように言われ、一人で書の練習を始めたものの、「金出麗水(きんしゅつれいすい)」のあたりで怠けてやめてしまったことを、この言葉で表しています。
『みそっかす』の用例は、初めは取り組んでいた稽古を途中で投げ出すという、現在の意味にそのままつながっています。虫が水に入って泳ぎ始めながら、向こうまで渡り切れない姿が、長続きしない努力を分かりやすく表しています。
このように、「螻蛄の水渡り」は、小さな虫の泳ぎ方から、人のまねをしても成し遂げられないことや、初めの意気込みが続かず、途中でやめることを表すようになったことわざです。始める勢いだけでなく、最後まで続ける根気の大切さを伝えています。
「螻蛄の水渡り」の使い方




「螻蛄の水渡り」の例文
- 毎朝走ると宣言したのに、一週間でやめてしまっては螻蛄の水渡りだ。
- 名人の練習方法をそのまままねたものの、基礎が足りず、螻蛄の水渡りに終わった。
- 母は何度も家計簿を買うが、記録が一月も続かず、いつも螻蛄の水渡りとなる。
- 会社が大きく宣伝して始めた新事業も、半年で中止され、螻蛄の水渡りとの批判を受けた。
- 地域の清掃計画は、初めこそ参加者が多かったが、やがて活動が止まり、螻蛄の水渡りになった。
- 他校の成功例を形だけ取り入れて成果を出せなかった改革は、まさに螻蛄の水渡りだった。
主な参考文献
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・幸田露伴『枕頭山水』博文館、1893年。
・幸田文『みそっかす』岩波書店、1983年。
・Cambridge University Press & Assessment『Cambridge Advanced Learner’s Dictionary & Thesaurus』。























