【ことわざ】
老いて再び稚児になる
【読み方】
おいてふたたびちごになる
【意味】
老人となり、理解力や判断力などが衰えて、子供のようになること。もうろくして幼児のようになること。


【英語】
・second childhood(老年などにより、子供のようにふるまう状態)
【類義語】
・老いて二度児になる(おいてふたたびちごになる)
・六十の三つ子(ろくじゅうのみつご)
・八十の三つ子(はちじゅうのみつご)
「老いて再び稚児になる」の語源・由来
「老いて再び稚児になる」は、人が年を取ると理解力や判断力が衰え、幼い子供のようになるという人の一生に対する観察から生まれたことわざです。年老いた姿を、人生の始まりである幼児期へ戻るものとしてとらえています。
このことわざでいう「稚児」は、「乳子」の意をもつ言葉で、赤ん坊や幼い子を指します。したがって、「稚児になる」とは、実際に子供に戻るという意味ではなく、ふるまいや判断のあり方が幼児に近くなることを表します。
表記には「老いて再び稚子になる」という形もあります。「稚子」も幼い子供を表す語であり、意味は、老人となって理解力・判断力などが衰え、子供のようになることです。
また、ほぼ同じ内容を表す形に「老いて二度児になる」があります。この言い方では、「二度」を「ふたたび」と読み、年を取ってもう一度子供のようになるという考え方が、よりはっきり示されています。
「老いて二度児になる」には、「老いては愚にかえる」「老いて再び稚児になる」という言い換えが添えられます。これにより、このことわざが、老年に伴う理解力や判断力の衰えを、幼児期へ戻る姿にたとえてきたことが分かります。
近い発想をもつ古い言い方に「二度おぼこ」があります。「二度おぼこ」は、女性が年老いて再び子供のようになること、またはその人を指す言葉で、『柳多留』一八編に用例があります。
『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』は、明和二年から天保十一年、つまり1765年から1840年にかけて刊行された江戸時代の川柳集です。人情や日常生活をうつした句が多く、当時の言葉づかいや世相を知る手がかりになります。
「二度おぼこ」のような言い方は、「老いて再び稚児になる」と全く同じ形ではありません。しかし、老年を幼さへの回帰として見る考え方が、江戸時代の言葉にも表れていたことを示しています。
同じ発想は、「六十の三つ子」「八十の三つ子」にも見られます。これらは、年を取ると再び幼児のように無邪気になったり、聞き分けがなくなったりすることを表す言い方です。
このように、「老いて再び稚児になる」は、特定の一つの物語から生まれた言葉ではなく、老年と幼年を重ねて見る生活上の実感から定着したことわざです。現在では、高齢によって判断や言動が子供のようになることを、率直に表す言葉として使われます。
「老いて再び稚児になる」の使い方




「老いて再び稚児になる」の例文
- 祖父が同じ質問を何度も繰り返すようになり、家族は老いて再び稚児になるという言葉を思い出した。
- 祖母は最近、孫と同じ菓子を欲しがることが増え、老いて再び稚児になるとはこのことかと感じた。
- 老いて再び稚児になるというように、高齢の父は細かな予定を一人で判断するのが難しくなった。
- 施設の職員は、老いて再び稚児になる利用者の気持ちを考え、落ち着いた声で何度も説明した。
- 母の言い分が子供のように聞こえても、老いて再び稚児になると思えば、家族も穏やかに受け止められる。
- 老いて再び稚児になるという言葉は、年を取ることの厳しさと、周囲の思いやりの大切さを教えている。
主な参考文献
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・松村明監修『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・呉陵軒可有ほか編『誹風柳多留』1765〜1840年。
・Cambridge University Press & Assessment, 『Cambridge Dictionary』.























