「芋の煮えたも御存じない」の意味(語源由来・対義語・英語訳)
【ことわざ】
芋の煮えたも御存じない
【読み方】
いものにえたもごぞんじない
【意味】
芋が煮えたのか煮えてないのかの区別もつかない。世間を知らずや、甘やかされて育った人を、からかったり、あざけたりする言葉。
おおまかに言うと、「何も知らん人」って意味やな。これは、ちゃんと世間の事を理解しとかなあかんってことを教えてくれてるんやな。
【語源・由来】
江戸時代には、お米が不作の時を考えて里芋も作られていました。
そして、生では硬くて食べられない里芋を柔らかく煮て食べる家庭料理も昔からありました。
つまり、芋煮料理は一般的なものなので、料理が作れてもおかしくない年頃の人が、芋が煮えたかどうかの簡単な判断すらまともにできない事はおかしいというところが由来です。
また、自分で料理など作らない世間知らずなお嬢様やお坊ちゃんを揶揄(やゆ)する言葉でもあります。
「江戸いろはかるた」の中の「ゐ」です。
「ゐ」は、現代では「い」と読みます。
【対義語】
・海千山千
・飽経風霜
・百戦錬磨
【英語訳】
・They know nothing about the real world.
・He’s so naive!
「芋の煮えたも御存じない」の解説
「芋の煮えたも御存じない」っていうことわざは、その人が世の中の常識や一般的なことに全然詳しくない、つまり、世間知らずだと言ってからかう表現なんだよ。
例えばね、誰でも知っているような当たり前のことや、すごく基本的なことさえ知らない人に対して使うんだ。「芋の煮えたも」ってのは、芋がどれくらいの時間で煮えるかという、誰でも知っているような基本的なことを指しているんだよ。
だから、「芋の煮えたも知らない」って言う時は、「あなたは本当に基本的なことさえ知らないね」って、ちょっとからかって言っていることになるんだよ。それが「芋の煮えたも御存じない」っていうことわざの意味なんだ。
「芋の煮えたも御存じない」の使い方
「芋の煮えたも御存じない」の例文
- 卵焼きなんて誰でも作れるだろう。それなのにこのスクランブルエッグみたいな料理は何だよ。芋の煮えたも御存じないのか君は。
- 新入社員には全員、出社後、社内を簡単に掃除させている。だが、雑巾ひとつまともに絞れないので、芋の煮えたも御存じない若者ばかりのようだ。
- 彼は芋の煮えたも御存じない人だから、そんな常識的な事を言って聞かせても、まるで理解できないよ。時間
の無駄だから止めておきな。 - 弟が結婚することになったけど、相手の女性は家政婦さんがいる家で育ったお嬢様だった。ふたりで暮らし始めたのは良いけど、芋の煮えたも御存じない女性なので、炊事洗濯家事などなにもできないありさまだった。
- 一人っ子で甘やかされて育てられたので、芋の煮えたも御存じないような、ひとりでは何もできない大人になってしまった。
「芋の煮えたもご存じない」を深掘り
「芋の煮えたもご存じない」とは、日本の古くからのことわざの一つです。
この言葉は、文字通り「芋が煮えたかどうかも知らない」という意味から、ある人があまりにも世間知らずで経験が浅いこと、または日常的なことさえ知らないことを示す表現として使われます。
特に、お嬢様のような裕福な家庭で育ち、日常の家事などに疎い女性に対して使われることが多い言葉でした。
その由来は、江戸時代の「いろはカルタ」に起因すると言われています。いろはカルタは、日常の知恵や風俗、慣習を学ぶための教材の一つで、その中にこの言葉が登場していたとされています。
しかしながら、現代の日本において、多くの人々は都市部で生活をしており、農村の生活や伝統的な家事に詳しくない場合も多いので、このことわざは古風で時代遅れと感じる人も少なくありません。
それでも、山形県の最上川流域地方などでは、サトイモの煮物を中心とした「芋煮会」という行事が今もなお盛んに行われており、地域の伝統としてサトイモ料理の文化が受け継がれています。
まとめると、「芋の煮えたもご存じない」とは、世間知らずや経験が浅いことを示す日本のことわざであり、その背景には日本の伝統的な家事や農村生活が関係しています。
参考文献
植物ことわざ事典 | 足田 輝一