【ことわざ】
河童の屁
【読み方】
かっぱのへ
【意味】
物事がたやすくできること、また、取るに足りないことのたとえ。屁の河童と同じ意味で用いられる。


【英語】
・a piece of cake.(とても簡単なこと)
【類義語】
・屁の河童(へのかっぱ)
・朝飯前(あさめしまえ)
・お茶の子さいさい(おちゃのこさいさい)
【対義語】
・骨が折れる(ほねがおれる)
・一筋縄では行かない(ひとすじなわではいかない)
「河童の屁」の語源・由来
テキ「河童の屁」は、水の中にすむ妖怪として知られる河童と、勢いのない屁を結びつけた言い方です。河童は水陸両棲の妖怪として語られ、頭の皿や手足の水かきなど、水と深く関わる姿で伝えられてきました。
このことわざは、河童が水中で屁をしても勢いがない、という見立てから、容易で何でもないこと、取るに足りないことを表すようになったといわれます。水に強い河童でさえ、その屁は水の中で力を失うという、少しおどけた比喩によって、物事の軽さを表しています。
古い用例としては、『俚言集覧(りげんしゅうらん)』(1797年以後1829年以前成立、江戸時代後期、太田全斎編)に、この言い方が出ます。俗語・俗諺(ぞくげん:世間で使われることわざや言い回し)を集めた近世の国語辞書であり、この表現が江戸時代の言葉として扱われていたことが分かります。
意味の中心は、早い時期から「たやすいこと」「取るに足りないこと」にありました。『俚言集覧』に関わる説明でも、「何のたわいない」という意味が示され、現在の主な意味とよくつながっています。
一方で、「木端(こっぱ)の火」がなまって「河童の屁」となり、さらに「屁の河童」と転じたとする説もあります。木端の火は、木の削りくずなどが燃える火のことで、すぐに燃え尽きて火持ちがしないことから、はかないこと、たわいのないことのたとえにもなりました。
「木端の火」は、『花暦八笑人(はなごよみはっしょうじん)』(1820〜1849年・江戸時代後期、滝亭鯉丈ほか作)にも、たわいのないことを表す言い方として出ます。この「すぐ消えてしまう火」の弱さと、「水中では勢いをもたない屁」の軽さが、同じ方向の意味を支えています。
江戸時代後期の雑俳集『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』五十二篇(1811年)には、「かっぱの屁」をうまくない茶、つまり気が抜けて効き目のないものにいう例が出ます。ここでは、現在の「簡単なこと」という意味とは少し違いますが、「力がない」「たいしたことがない」という感覚は共通しています。
明治時代の滑稽小説『西洋道中膝栗毛(せいようどうちゅうひざくりげ)』(1870〜1876年、仮名垣魯文作、十二編以下は総生寛作)には、「河童の屁だ」という形の用例が出ます。この作品は全十五編三十冊の道中記で、明治の世相をこっけいに描いた作品です。
「屁の河童」は、語順を入れ替えた形として同じ意味で使われます。現在では「なんとも思わないこと」「するのがたやすいこと」「まったく問題にするにあたらないこと」を表し、「河童の屁」はその異形として扱われます。
つまり「河童の屁」は、水中の屁という軽い見立てと、「木端の火」からの転化説の二つが重なりながら、たわいないこと、簡単なことを表す言い方として定着したことわざです。現在使うときは、「そんなことは簡単にできる」「問題にするほどでもない」という意味を、少しくだけた調子で表します。スト
「河童の屁」の使い方




「河童の屁」の例文
- その選手にとって五キロメートルのランニングは河童の屁だった。
- 手先の器用な祖父には、この程度の修理など河童の屁にすぎない。
- 何度も練習した曲だったので、本番の演奏は河童の屁だと思っていた。
- 経験豊かな職人は、難しそうな細工を河童の屁のように仕上げた。
- 兄は暗算が得意で、三けたの足し算も河童の屁だと言ってすぐ答えた。
- 小さな失敗を大げさに心配する友人に、彼女は河童の屁だと笑って励ました。
主な参考文献
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・集英社辞典編集部編『ルーツでなるほど慣用句辞典』集英社、1991年。
・太田全斎編『俚言集覧』1797年以後1829年以前成立。
・『誹風柳多留 五十二篇』1811年。
・仮名垣魯文・総生寛『西洋道中膝栗毛』1870〜1876年。























