【ことわざ】
火事と喧嘩は江戸の花
【読み方】
かじとけんかはえどのはな
【意味】
江戸は大火事が多く、火消しの働きぶりが華やかであり、また江戸っ子は気が早く派手な喧嘩が多かったことをいう言葉。


【類義語】
・火事は江戸の華(かじはえどのはな)
「火事と喧嘩は江戸の花」の語源・由来
「火事と喧嘩は江戸の花」は、江戸の町に火事が多く、火消しの働きぶりが目立ったことと、江戸っ子の喧嘩が威勢よく派手だったことを合わせて言ったことわざです。ここでいう「花」は、美しい草花そのものではなく、人目を引く名物や、にぎやかで目立つものという意味で用いられています。
江戸は、徳川家康が入ってから大きく発展し、武家地・寺社地・町人地が入り組む大都市になりました。町人の暮らす区域には長屋が密集し、ひとたび火が出ると、当時の消火力では火が止まりにくい町の構造でした。
江戸に火事が多かった背景には、冬から春にかけての乾いた空気、強い季節風、暖房や灯火のための火の使用がありました。火災は十一月から五月ごろに多く、火の広がりやすい条件が重なっていました。
火事の規模も、江戸を特徴づける大きな要素でした。江戸時代には、町の大半が焼けるほどの大火がたびたび起こり、三年に一度ほどの割合で大火に見舞われたと伝わります。
代表的な大火には、明暦三年(一六五七年)の明暦の大火、明和九年(一七七二年)の明和の大火、文化三年(一八〇六年)の文化の大火があります。とくに明暦の大火は、江戸城の本丸・二ノ丸・三ノ丸をはじめ、多くの武家屋敷・寺社・倉庫・橋を焼き、死者も非常に多かった大災害でした。
このような町を守るため、江戸では火消しの組織が発達しました。享保三年(一七一八年)には町火消が作られ、その後「いろは組」に分けられ、享保十五年(一七三〇年)には「いろは四十八組」として、本格的な町火消制度が整えられました。
町火消は、町屋の火災に当たる火消しで、町奉行のもとに置かれながら、町人側の負担によって動く組織でした。組の名誉をかけて働くため、火事場での出動や消火の働きぶりは、江戸の人々の目を強く引きました。
火消しの象徴としては、纏(まとい)がよく知られています。火事場で纏を立てることは、その場所を受け持って火を止めるという強い意思を示すもので、火消したちの勇ましさを印象づけました。
一方、「喧嘩」は、単に乱暴な争いをほめる意味だけではありません。江戸の喧嘩は、気の早い江戸っ子の気質や、火消し同士が名誉を争うような派手なもめごとも含めて、町の威勢のよさを示すものとして語られました。
「火事とけんかは江戸の華」といわれたのは、どちらも派手な騒ぎになり、人々の目を引いたからだといえます。火事があれば復興のために金が動き、喧嘩の仲直りにも飲食がつきものだったため、それを「華」にたとえたという見方もあります。
ただし、火事は実際には、住まいや財産を一夜で失わせる深刻な災害でした。舞い上がる炎や火の粉が遠くからは花のように見えても、江戸に暮らす人々にとっては、命にかかわる大きな不安でもありました。
そのため、このことわざには、江戸っ子の強がりや負けん気もにじんでいます。火事が多く、喧嘩も派手な町に生きながら、それを「江戸の花」と言い切るところに、江戸の人々の気っ風と自負が表れています。
「火事と喧嘩は江戸の花」は、江戸の火災の多さ、町火消の華やかな働き、江戸っ子の威勢のよさが重なって生まれた表現です。現在では、江戸という町の荒々しくも活気ある姿を伝えることわざとして使われています。
「火事と喧嘩は江戸の花」の使い方




「火事と喧嘩は江戸の花」の例文
- 社会科の発表で、火事と喧嘩は江戸の花という言葉を取り上げ、江戸の町の特徴を説明した。
- 火事と喧嘩は江戸の花とは、江戸のにぎやかさと荒々しさを同時に伝えることわざだ。
- 町火消の勇ましい働きを知ると、火事と喧嘩は江戸の花という言葉の背景がよく分かる。
- 火事と喧嘩は江戸の花というが、江戸の人々にとって火事は暮らしを脅かす深刻な災害でもあった。
- 江戸っ子の気っ風を語る場面で、火事と喧嘩は江戸の花という言葉が使われる。
- 火事と喧嘩は江戸の花という表現には、災難さえ威勢よく語る江戸の町人の強がりも感じられる。
主な参考文献
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・平凡社編『世界大百科事典』平凡社。
・財団法人東京連合防火協会『新 消防雑学事典 二訂版』東京連合防火協会、2001年。
・一般財団法人消防防災科学センター『消防防災博物館 江戸時代の消防』。























