【ことわざ】
昨日の友は今日の仇
【読み方】
きのうのともはきょうのあだ
【意味】
昨日まで親しかった人が、今日は敵になることもあるというたとえ。人の関係や心は変わりやすく、あてにならないことを表す。


【類義語】
・昨日の友は今日の敵(きのうのともはきょうのてき)
・今日の情は明日の仇(きょうのなさけはあすのあだ)
・手を翻せば雲となり手を覆せば雨となる(てをひるがえせばくもとなりてをくつがえせばあめとなる)
【対義語】
・昨日の敵は今日の友(きのうのてきはきょうのとも)
・昨日の敵は今日の味方(きのうのてきはきょうのみかた)
「昨日の友は今日の仇」の語源・由来
「昨日の友は今日の仇」は、人の関係が短い時間で大きく変わることを、「昨日」と「今日」の対比で言い表したことわざです。親しい友人が翌日には敵になることもあるという形で、人の離合集散の定まらなさを表します。
「仇」は、ここでは自分に害をなす相手、敵となる相手を表します。「友」と「仇」を並べることで、親しさと敵対が急に入れ替わる驚きを、短い言葉の中ではっきり示しています。
この言い方に近い古い形として、幸若舞(こうわかまい)の「三木(みき)」が挙げられます。幸若舞は、室町時代から戦国時代にかけて武士にも好まれた語り物芸能で、豊臣秀吉は幸若小八郎吉信らに、別所長治攻めを内容とする「三木」を作らせています。
「三木」は、天正年間の播磨国三木城をめぐる戦いを題材にした作品です。秀吉が頼みにしていた別所長治が、織田方・秀吉方から離れて三木城にこもる場面が、このことわざの意味に近い文脈を作っています。
その場面で秀吉は、長治を将来の案内者として頼み、心を隔てまいと思っていたのに、その相手が敵側に回ったことを嘆きます。そして、「昨日の花は今日の塵、昨日の友は今日の怨。飛鳥の川の淵ならで、瀬に変はり行く習ひ」とあります。
この古い用例では、現在の「仇」ではなく「怨」の字が用いられています。けれども、昨日まで友であった者が、今日は恨みや敵対の対象になるという考え方は、現在の「昨日の友は今日の仇」とほぼ同じ方向をもっています。
また、「飛鳥の川の淵ならで、瀬に変はり行く」という言い回しは、世の中の変化の早さを表す古い和歌の発想にもつながります。『古今和歌集』(905〜914年・平安時代前期成立)には、「世の中は何か常なる 飛鳥川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる」という歌があり、深い淵が浅い瀬へ変わるように、人の世も変わりやすいことを表します。
「昨日の友は今日の仇」は、このような「昨日」と「今日」を対比する言い方の流れの中で、人間関係の変化に焦点を合わせた表現です。花が塵になり、淵が瀬になるように、友も仇になりうるという形で、世の中と人の心の移り変わりを重ねています。
後には、「昨日の友は今日の敵」という形も広く用いられるようになりました。この形も、今まで親しかった者が急に反逆することや、人の離合集散があてにならないことを表します。
現在の「昨日の友は今日の仇」は、昔の人が人間不信をすすめる言葉というより、人の立場や利害は変わるものだという注意を含むことわざです。仲のよい関係であっても、状況が変われば対立が生まれることがある、という世の中の移り変わりを教える表現です。
「昨日の友は今日の仇」の使い方




「昨日の友は今日の仇」の例文
- 共同で店を始めた二人が利益の分け方でもめ、昨日の友は今日の仇となった。
- 選挙が近づくと、同じ陣営にいた仲間同士でも、昨日の友は今日の仇になることがある。
- 昨日まで味方だと思っていた会社が急に競争相手になり、昨日の友は今日の仇を実感した。
- 親しい友人でも、秘密を軽く扱えば、昨日の友は今日の仇になりかねない。
- 部活動の代表選びで意見が分かれ、昨日の友は今日の仇のような空気になった。
- 昨日の友は今日の仇というように、利害が変わる場面では人間関係も変わりやすい。
主な参考文献
・公益財団法人日本漢字能力検定協会『漢字ペディア』。
・小学館『デジタル大辞泉』小学館。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・集英社『会話で使えることわざ辞典』。
・笹野堅編『幸若舞曲集』第一書房、1943年。
・越前町織田文化歴史館「幸若舞」。























