「犬も歩けば棒に当たる」は有名なことわざですが、意味が1つではないため、使う場面で迷いやすい言葉です。
実際、災難を表す使い方と、思いがけない幸運を表す使い方の両方があります。
どちらも辞書に載っているので、片方だけを正解だと決めるのは適切ではありません。
この言葉を正しく使うコツは、ことわざだけを切り取らず、前後の文脈で判断することです。
この記事では、2つの意味の違い、使い方、例文、語源、類語、対義語、英語表現まで、ひとつずつ整理します。
読み終えるころには、会話でも文章でも迷わず使える状態になります。
「犬も歩けば棒に当たる」の意味は2つ
読み方
「犬も歩けば棒に当たる」は、いぬもあるけばぼうにあたると読みます。
古くから定着したことわざとして扱われています。
読みを先に押さえると、音で覚えやすくなり、意味の区別も整理しやすくなります。
1つ目の意味:行動すると災難にあうことがある
1つ目は、「何かしようと動くと、思わぬ災難にあうことがある」という意味です。
文字どおりに読むと、歩いていた犬が棒に当たる場面なので、こちらの解釈はとても自然です。
注意や戒めの気持ちを込めるときに使われます。
2つ目の意味:行動すると思わぬ幸運に出会うことがある
もう1つは、「動いているうちに、予想していなかった幸運に出会うことがある」という意味です。
辞書にもこの意味が並んでおり、実際の使用例でも広く見られます。
行動の価値を前向きに示すときに使われます。
どちらで使うかを見分けるコツ
意味の見分け方は、文の前後を読めばほぼ判断できます。
- 失敗・トラブル・注意喚起の文脈なら「災難」の意味。
- 偶然の成功・うれしい出会いの文脈なら「幸運」の意味。
- 話し手の気分が後悔寄りか、前向きかでも判断しやすくなります。
使い方と例文
災難の意味での例文
- 「休日に近道をしようとしたら、工事で大渋滞だった。犬も歩けば棒に当たるとはこのことだ。」
この例は、行動した結果として面倒な出来事に当たった場面です。
失敗そのものを責めるというより、「思わぬ不運は起こりうる」という落ち着いた言い方になります。
- 「余計な一言を言ったら、話がこじれてしまった。犬も歩けば棒に当たる、気をつけよう。」
この使い方では、次回への注意につなげる効果があります。
強く叱る表現ではないので、会話でも使いやすい言い回しです。
幸運の意味での例文
- 「本屋に寄り道したら、ずっと探していた本が見つかった。犬も歩けば棒に当たるだね。」
この例では、行動したことで偶然の良い結果に出会っています。
前向きな驚きを伝えるときに自然です。
- 「イベントに参加したら、将来の進路につながる人と出会えた。犬も歩けば棒に当たるとは、まさにこのことだ。」
この言い方は、努力の途中で起きた幸運を表すときに向いています。
単なる運だけでなく、動いたこと自体の価値もにじむ表現です。
誤用を避けるポイント
このことわざは、どちらの意味でも使えるぶん、文脈が弱いと誤解されます。
たとえば、悪い出来事なのに明るい口調で言うと、相手に冷たく聞こえることがあります。
逆に、良い出来事なのに深刻な調子で使うと、皮肉(遠回しな言い方)に聞こえます。
前後に一言添えて、意味をはっきりさせるのが安全です。
語源・由来
「犬も歩けば棒に当たる」は、江戸いろはかるたの「い」の札として広く知られています。
最初の札がこの句であるため、江戸系のいろはかるたは「犬棒かるた」と呼ばれます。
由来を押さえると、ことわざが日常の教訓として広まった背景が見えてきます。
また、いろは系の札は地域差があり、江戸と京都では「京」を加えた48字構成として説明される資料があります。
こうした違いは、同じ「いろはかるた」でも地域ごとの文化が反映されていることを示します。
ことわざが固定された一枚岩ではなく、生活の中で使われながら育ってきた言葉だとわかります。
このことわざが特に興味深いのは、意味の二重性です。
文字どおりに読めば災難ですが、用例の多くは「思いがけない幸運」の文脈で使われる、という解説が示されています。
ここでは、わざと逆向きの語を使って全体を逆説(見た目と意図が反対の言い方)にする発想が鍵になります。
さらに、幸運をそのまま誇らず、少し斜めに言う江戸語の感覚も背景にあります。
自分を低く見せる言い回しや、良いものをあえて逆の語で言う調子が、この句の味わいを生んでいます。
ことわざとして長く残った理由は、意味の広さだけでなく、言葉の粋(いき)にもあると言えます。
類語と言い換え
意味が2つあるため、類語も「幸運側」と「災難側」で分けると理解しやすくなります。
デジタル大辞泉系の整理でも、幸運側と災難側で別の類語が示されています。
文脈に合う方を選ぶことが大切です。
幸運側の類語
棚から牡丹餅、開いた口へ餅、福徳の三年目、埋もれ木に花が咲く
災難側の類語
一口物に頰を焼く、藪をつついて蛇を出す、触らぬ神に祟りなし
行動の結果が良い方向に出る言い換え
怪我の功名、思い立ったが吉日
対義語(反対の考え方)
「犬も歩けば棒に当たる」は意味が二方向なので、厳密な対義語を1つに固定するのは難しい言葉です。
災難の意味に対しては、「思い立ったが吉日」のように行動を肯定する表現が対照的です。
幸運の意味に対しては、「踏んだり蹴ったり」のように不運が重なる表現が反対側に位置づけられます。
大事なのは、辞書的な“唯一の反対語”を探すことより、どの意味で使っているかを先に決めることです。
意味を決めてから対照語を選ぶと、説明に一貫性が出ます。
学習でも実用でも、この順番がもっとも混乱しにくい方法です。
英語ではどう言う?
日本語の「犬も歩けば棒に当たる」に完全一致する英語は、場面によって言い分けるのが自然です。
幸運側なら、行動しないと成果は得られないという意味の Nothing ventured, nothing gained. が近い表現です。
災難側なら、余計なことをして問題を起こさないようにという Let sleeping dogs lie. が近い場面で使えます。
また、「誰にも活躍の時が来る」という Every dog has its day. も、前向きな文脈で関連づけられることがあります。
ただしこれは「行動すると何かに当たる」という構図そのものではないため、訳語としては“近いが別物”です。
英語化するときは、まず日本語側の意味を災難・幸運どちらで使っているか決めるのがコツです。
「犬も歩けば棒に当たる」の二つの意味(北村孝一コラム)

「犬も歩けば棒に当たる」は、“江戸いろはかるた”(「いろはがるた」とも発音します)の「い」の札としてよく知られています。このかるたのことを「犬棒かるた」と呼ぶことは、みなさんもご存じですね。このことわざは、いろはの「い」だから印象が強いだけでなく、二つの相反する意味があることも大きな特徴です。
たとえば、『広辞苑』では「犬」の項で次のように説明されています。
犬も歩けば棒に当る
物事を行う者は、時に禍いにあう。また、やってみると思わぬ幸いにあうことのたとえ。
(『広辞苑』7版)
失礼ながら、「物事を行う者」というのは、あまりぴんときませんね。
私なら「積極的に行動する者」とでもしたいところです(見方によっては、出しゃばって物事を行う者とみなされることもあります)。そういう者は、とかく禍(わざわい)にあうということになります。
「やってみると」というのも、やや舌たらずで、ことわざの「犬も歩けば」という表現にそって比喩を考えると、「あちこち出歩いていると」あるいは「いろいろやっているうちに」ということでしょう。こちらは、思いがけない幸運にあうことになります。
同じ「犬も歩けば棒に当たる」の意味が、一方では「禍」にあうことになり(災難説)、もう一方ではまったく逆に、幸運にあうことになる(幸運説)というのは、不思議ですね。どうして、そんなことがおこるのでしょうか。
現代人がこのことわざの意味をよく知らずに、「犬も歩けば棒に当たる」という文を見ると(聞くと)、幸運にであうとは思えないでしょう。かるたの絵を見ても、たいてい犬が棒を投げつけられた場面がえがかれていて、痛そうに片足をあげていますから、禍と思うのがふつうの感覚です。
しかし、このことわざは、江戸時代中期(18世紀初期)から用例がのこっていて、当時から幸運にあうという意味でも使われていたことがわかっています。この受け取りかたのちがいは、どこから生じるのでしょうか。
ここで、いちばん注目したいのは「犬」です。犬は江戸時代もいまも変わらないと思いがちですが、犬の比喩的な(つまり、たとえとしての)意味やイメージは、時代によって大きく変わっています。
徳川家康は、新参の(侍にとりたてられたばかりの)身分の低い者に「犬々三年人一代、人々(ひとひと)三年犬一代」という古いことわざをよく引いて、教えていたといいます(本居宣長『玉勝間』)。
最初の三年は、人に犬といわれても堅実(けんじつ)に倹約(けんやく)して暮らし、仕事にはげみ借金をしなければ、その後は人として恥ずかしくない生活が一生できる。
しかし、酒や宴会をこのんで人にふるまい、派手な生活をしていると、欲のない気前のよい人ともてはやされるが、三年もすると金もなく馬ももてず、人に借りたものも返せず、武士の務めがはたせなくなって、世間からばかにされ、一生笑い者になってしまう、ということです。
この家康のエピソードから、当時の「犬」は、まずしく身分の低い人々やその生活ぶりのたとえとして使われていたことがわかります。「犬」は、生命力が強く、安産とされ、活動的で、主人や家を守るなど、プラスのイメージもありますが、身分制度がきびしい時代には、身分の低い者をさしていたことは間違いありません。
これは、「犬も歩けば…」ということわざの二つの意味(二重の意味)を解き明かすうえで、重要なカギになると私は考えています。
少しむずかしい話になりましたが、大まかにいうと、「犬も」といったときに、「犬」を見下して、自分は「犬」ではないと思っている人は、災難説にかたむきます。むやみに動いて、よけいなことをするから、禍にあうと考えるのです。
もちろん、人間は犬ではありませんが、ある意味で、自分は「犬」だ、身分の低い者、貧しい者だと思っている人(特権のない庶民といってよいでしょう)は、どちらかというと幸運説に共感します。
しがない庶民だって、ツキがまわってくることもある、と暗にいいたいのです。
「犬も歩けば棒に当たる」の二つの意味については、多くのことわざ辞典や本がふれていますが、いま述べた身分の視点をわすれている(避けている?)ために、なぜ二つの意味・用法が並行して使われるのか、解明されていないのではないでしょうか。
©2024 Yoshikatsu KITAMURA
まとめ
「犬も歩けば棒に当たる」は、災難と幸運という2つの意味をもつ、奥行きのあることわざです。
文字どおりの理解だけでは片手落ちになり、運用例だけ見ても背景を取りこぼします。
文脈で意味を判断し、必要に応じて類語や英語表現を使い分ければ、誤解の少ない伝え方ができます。
意味の揺れを弱点ではなく、表現の豊かさとして使えるようになるのが、このことわざの学びどころです。























