「群盲象を評す」の意味(出典・語源由来)
【ことわざ】
群盲象を評す
ぐんもうぞうをひょうす
【意味】
凡人は、大人物や大事業の一部分しか理解できないというたとえ。
象の一部分だけ触って「象はこんなもんや」と言うのは、実際の象の大きさや形を知らない人の言うことやもんな。大きなことや人についての判断は、しっかりと情報や知識を持ってから言わなあかん、ってことやね。
【出典】
「六度経」
【語源・由来】
多くの盲人が一頭の象をなでて、自分の手に触れた所の印象から象の全体像について意見を言う意から。
「群盲象を評す」の解説
「群盲象を評す」っていう言葉はね、いい例で言うと、盲目の人たちが象のところに行って、みんなが象の一部分だけを触って、その一部分だけから象ってどんなものかを判断するっていう話からきてるんだよ。
例えば、一人は象の足を触って「象って、大きな柱みたいだね!」って言い、もう一人は象の鼻を触って「いやいや、象は長いホースみたいだよ!」って言うみたいな感じで、みんなが一部分だけを知って、それだけで全体を判断しようとすることを表してるんだ。
これはね、大きなことやすごい人について、私たちみたいな普通の人がちょっとした部分だけを見て、それだけで全体を理解したつもりになることを指してるの。大切なのは、物事や人の全体像をしっかりと理解することだけど、それはなかなか難しいんだよね。だから、このことわざは、物事の一部分だけを見て判断しないように、って教えてくれる言葉なんだよ。
「群盲象を評す」の使い方
「群盲象を評す」の例文
- SNSで他人を批判する人は、一部分しか知らないのに自分を正義と思い込み、まさに群盲象を評すだ。
- テレビのコメンテーターは、切り取られた事実だけを見て偉そうにコメントするが、群盲象を評すというやつだ。
- 彼の一面だけを見て彼を判断するのは群盲象を評すです。
- 群盲象を評すではなく、賢人のようにもっと広い視野で見て判断してほしい。
- 情報が統制されると、国から与えられた情報をすべてと思い込み群盲象を評すとなる。
「群盲象を評す」の文学作品などの用例
早い話が堀川のお邸の御規模を拝見致しましても、壮大と申しませうか、豪放と申しましょうか、到底私どもの凡慮には及ばない、思ひ切った所があるやうでございます。中にはまた、そこを色々とあげつらって大殿様の御性行を始皇帝や煬帝に比べるものもございますが、それは諺に云う群盲の象を撫でるようなものでもございましょうか。あの方の御思召は、決してそのように御自分ばかり、栄耀栄華をなさろうと申すのではございません。(芥川龍之介の地獄変より)