「過ちを観て斯に仁を知る」の意味(出典)
【ことわざ】
過ちを観て斯に仁を知る
【読み方】
あやまちをみてここにじんをしる
【意味】
人の過失の原因などをしっかり見極めればその人の仁の程が分かる。
人は間違いを犯すとき、その本性が出やすいんやろな。だから、人の過ちをよく観察すると、その人の本質が見えてくるんやな。これは、人を理解するための深い教えやな。
【出典】
「論語」の「人の過ちや、各々その党に於いてす 過ちを観て斯に仁を知る」から。
「過ちを観て斯に仁を知る」の解説
「過ちを観て斯に仁を知る」っていうことわざは、人がどんな間違いをしたり、どういうところでつまづいたりするかをよく見て、その人がどれだけ優れた人間か、すなわち、その人の人格や道徳性がどうなのかを理解するっていう意味だよ。
たとえばね、友達が同じ問題で何度も間違いをしてしまっても、それをちゃんと認めて、反省したり謝ったりするか、それとも、自分の間違いを認めずに、ずっと同じ問題でつまづいてしまうか、これを見ることで、その友達がどれだけ成熟しているか、または、誠実さや誠意を持っているかが分かるんだ。
「過ち」は、間違いや失敗のこと。「観る」は、見る、観察するっていう意味。「仁」は、人間としての良さ、道徳性、優しさを指す言葉だよ。
だから、このことわざは「人の間違いを見て、その人の人間性を理解する」ということを教えているんだよ。つまり、人は失敗からも学ぶことができ、その失敗をどう対処するかで、その人の本当の性格や品性が見えてくる、っていうことを言っているんだね。
「過ちを観て斯に仁を知る」の使い方
「過ちを観て斯に仁を知る」の例文
- 失敗した時にこそその人の本性が分かる。過ちを観て斯に仁を知るという。
- 過ちを観て斯に仁を知るように、過失に対してどう対処するかで真の姿が見えてくる。
- 過ちを観て斯に仁を知るというが、ミスをして慌てる姿を観察すれば為人が大体わかる。
- 過ちをおかしたときにこそ、過ちを観て斯に仁を知るように、その人を知るチャンスだ。
- 失敗は誰にでもあるが、過ちを観て斯に仁を知るというように、失敗した後どうするかでその人の内面を知る。