【ことわざ】
過つは人の性、許すは神の心
【読み方】
あやまつはひとのさが、ゆるすはかみのこころ
【意味】
人は誰でも過ちを犯すものであり、他人の過ちをむやみに責めず、寛大に受け止めるべきだという戒め。


【英語】
・To err is human; to forgive, divine.(過ちを犯すのは人間の性質であり、許すことは神のように尊い)
【類義語】
・過つは人の常(あやまつはひとのつね)
・過ちは人の常、許すは神の業(あやまちはひとのつね、ゆるすはかみのわざ)
「過つは人の性、許すは神の心」の語源・由来
このことわざは、英語の名句「To err is human; to forgive, divine.」を日本語に移した形として伝わっています。日本語では「過つは人の性、許すは神の心」といい、「過ちは人の常、許すは神の業」という近い形も用いられます。
前半の考えには、西洋で古くから語られてきた「人は誤るもの」という発想が重なります。共和政ローマ末期の紀元前43年に行われたキケロの演説には、どんな人にも誤りはありうるが、誤りにとどまり続けるのは愚かな者だけだ、という趣旨の一節が出てきます。
この古い発想は、人間の弱さを認めるだけで終わるものではありません。誤ったことに気づいたら改める余地がある、という方向にもつながっており、「過ちは人間に避けがたいもの」という見方の土台になっています。
現在よく知られる対句の形は、イギリスの詩人アレキサンダー・ポープの『An Essay on Criticism』(1709年執筆、1711年刊行)によって広く知られるようになりました。この作品は、批評する人がどのような態度で作品や作者に向き合うべきかを論じる詩です。
作中では、名声を求める心や、他人を厳しく責める批評家の態度が戒められます。その流れの中で、「よい気立て」と「よい判断」は結びついていなければならないと述べたあと、「To err is human; to forgive, divine.」という一節が続きます。
つまり、この一節は、ただ「人は失敗する」と言っているだけではありません。人間には過ちがあるからこそ、他人を批判するときにも、冷たく責め立てるのではなく、寛大さと分別をもつべきだ、という文脈の中で使われています。
日本語の「過つは人の性、許すは神の心」では、「性」を「さが」と読み、人間が本来もちやすい性質という意味を含ませています。また、「神の心」は、人間を超えた大きな慈悲や寛容さをたとえた言い方です。
別形の「過つは人の常、許すは神の業」では、「常」が人間にありがちなことを表し、「業」が神のなすことを表します。どちらの形でも、過ちを犯した人をただ甘やかすのではなく、人間の弱さを理解したうえで、相手を責めすぎない心の広さを説くことわざとして定着しています。
「過つは人の性、許すは神の心」の使い方




「過つは人の性、許すは神の心」の例文
- 友人の連絡ミスで集合時間がずれたが、過つは人の性、許すは神の心と思い、次から確認方法を決めた。
- 部下の小さな失敗を責め続けず、過つは人の性、許すは神の心の気持ちで再発防止を一緒に考えた。
- 兄は弟が大切な本を汚したことに腹を立てたが、過つは人の性、許すは神の心と考えて弁償より反省を求めた。
- 試合で仲間が判断を誤っても、過つは人の性、許すは神の心を忘れず、次の練習で改善点を話し合った。
- 新入社員の入力ミスに対して、過つは人の性、許すは神の心という姿勢で、先輩は確認の手順を丁寧に教えた。
- 地域の行事で予約を取り違えた人を責める声もあったが、過つは人の性、許すは神の心として、全員で代わりの案を出した。
主な参考文献
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・Alexander Pope『An Essay on Criticism』1711年。
・Marcus Tullius Cicero『Philippicae』紀元前1世紀。























